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2026年07月04日 18:07
新日本プロレスで活躍する人気プロレスラーの本間朋晃(49)が4日、現役を引退することを表明した。 本間はこの日、地元・山形で行われた大会前のリングに上がり、古傷の首の不調を理由に欠場したことを陳謝。その上で「私、本間朋晃はプロレスラーを引退します」と表明した。来年の山形大会(日程・会場は未定)で引退試合をすることを宣言し、それまでは試合には出場せずに約1年間新日本の会場でサイン会を行う意向だ。最後は「こけし・イズ・ハッピー! 幸せになろうぜ!」の決めゼリフで、会場をわかせた。 無念の決断だった。本間は2017年3月の沖縄大会で中心性頸髄損傷の大ケガを負った。手術と懸命のリハビリを経て、18年6月の山形大会で奇跡の復活を遂げたものの、復帰前のパフォーマンスには戻らなかったことで長いあいだ葛藤を抱えていた。また今年5月に受けた検査で、頸椎の骨が大きく変形していたことが判明し、リングに上がることの危険度が高まっていたことも決断の大きな要因となった。 浜口ジム出身の本間は1997年5月に大日本プロレスでデビュー。デスマッチ路線でエースとして活躍するも2000年10月に退団し、フリーを経て02年3月に全日本プロレスに入団した。 06年5月に全日本を退団すると再びフリーを経て、新日本プロレスを主戦場に。09年に正式に入団し、12年3月には契約を解除されたものの、13年3月からフリーとして新日本マットに参戦していた。 本間の代名詞と言えば必殺技のこけし(変型ダイビングヘッドバット)だ。かなりの高確率で相手に避けられるものの、同技のモーションに入るだけで観客の視線を釘付けにした。14年には「G1クライマックス」に初出場するも全敗。翌15年にG1のワースト連敗記録を「17」でストップし石井智宏から初勝利を収めた試合は多くのファンの心に刻まれ、同年にはプロレス大賞の技能賞も受賞した。 さらに07年2月に加入したユニット「G.B.H」時代から続く真壁刀義との絆は深く、「ワールドタッグリーグ」連覇(15、16年)、16年にはIWGPタッグ王座奪取など実績を残した。 また喉に強烈なラリアートを受けたことを機に、声がガサガサになったことも後のブレークを呼んだ。不慣れな人には何を言っているのかサッパリ分からないことがウケて、バラエティ番組でも引っ張りだことなった。 多くのファンに愛された本間。デビュー30周年の節目を迎える2027年に、こよなく愛し続けたリングを去る。
2026年07月04日 22:10
「ボクシング・8回戦」(4日、後楽園ホール)
元プロボクサーで俳優の赤井英和(66)の長男、赤井英五郎(31)=帝拳=が71キロ契約8回戦で韓国ミドル級3位のヤン・セユル(30)=韓国=と対戦したが、2回1分24秒で無念の逆転TKO負けを喫した。
1回はダウン気味に倒されたもののスリップ判定に救われ、2回に頭を低く構える相手に対し、打ちおろしの右フックでダウンを先取。ただ、その後にカウンターの右をまともに被弾してダウンし、立ち上がったもののダメージが大きく、レフェリーに止められた。赤井は呆然と立ち尽くし、リングサイドで観戦した両親も無念そうに見つめた。
負けたら引退も覚悟していたという今年1月の前戦は初回TKO勝ちで再起を飾ったものの、A級(8回戦以上)昇格初戦で波に乗ることができず、21年9月のプロデビューからの通算戦績は6勝(5KO)5敗。痛恨の黒星に「悔しいの一言。力みすぎていたから(ガードが)開いてしまった。今回の負けは今までの(負け)より精神的に大きいですね。ちょっと今後もっていうのは今は考えられない」と、落胆を隠せなかった。
2026年07月04日 20:30
新日本プロレス4日の山形大会で現役引退を表明した本間朋晃(49)が、決断の裏側を明かした。
本間はこの日、地元・山形で行われた大会前のリングに上がり、古傷の首の不調を理由に欠場したことを陳謝。その上で「私、本間朋晃はプロレスラーを引退します」と表明した。来年の山形大会(日程・会場は未定)で引退試合を予定しており、それまでは試合には出場せずに約1年間新日本の会場でサイン会を行う意向だ。
本間は2017年3月の沖縄大会で中心性頸髄損傷の大ケガを負った。18年6月23日の山形大会で奇跡の復活を遂げたものの、今年5月に受けた検査では頸椎の骨が大きく変形していたことが判明。リングに上がることの危険度が高まっていたことも引退を決めた大きな要因となり、出場予定だった「DDTプロレス×新日本プロレス」(6月8日、後楽園)からは体調不良を理由に欠場を続けていた。
バックステージで取材に応じた本間は「レスリングどんたくのシリーズが終わってから、調子がよくなくて。できるのかできないのか分からない状態でできるようなものじゃないので。やっぱり厳しい世界なので」と経緯を説明。「プロレスを30年やれたことは幸せですけども、悩んで悩んで決めました。引退します。引退したら、昔のように新日本プロレスのファンに戻って応援したいと思ってます」と胸中を明かした。
また、最後の1回だけリングに上がる引退試合については「全然決めてはないんですけど、やっぱり山形のデカいところでやりたいですね。山形ってこんなにプロレス熱あるんだっていうのを再確認した上で、たくさんの方に来ていただきたいです」と希望を語った。
引退を発表した時には会場から「えー?!」と大きなどよめきが起きた。本間は「やれるならもっとやりたかったとも思うんですけど…。でも、それだけ僕が元気に見えたということで、すごく光栄だと思います。僕が目指してる『プロレスで皆さんに元気になってもらいたい』というのが伝わっていたんだなと思いますね」と万感の表情。ここまで話すと「これ以上は泣けてくるから」とつぶやき、人目をはばからず涙を流した。
この日の大会は動画配信サイト「NEW JAPAN WORLD」の中継がなかった。リアルタイムで多くの人に決断を伝えるには、別の会場で発表することも考えられたが、本間はあえて地元での発表にこだわった。「デビュー(戦)は栃木なんですけど、2度目のデビューは2018年6月23日のここ(山形ビッグウイング)だと思ってるので。生まれた土地で言いたいなというのはありましたね」。選手生命の危機からの復活を果たした会場で一大決心を公にした。
「とにかく僕はプロレスが大好きなので、発表したからには引退試合に向けて突き進むしかないので。最高のコンディションにしたいと思います」。残すはあと1試合、渾身のこけしを繰り出すために、本間は最後の最後まで誇り高きプロレスラーとして準備を続けるつもりだ。
2026年07月04日 19:40
新日本プロレス8月15日の東京・両国国技館大会で引退する猛牛・天山広吉(55)が、黒のカリスマ蝶野正洋(62)と最初で最後のサイン会を行った。
新日本真夏の祭典「G1クライマックス」(11日、米国・シカゴで開幕)と、「スターダム「5★STAR GP」(18日、大田区で開幕)に向けたポップアップイベント(京王百貨店新宿店)で、4日はG1優勝3度(2003、04、06年)の天山と、同5度(1991、92、94、2002、05年)の蝶野がゲストとして登場。駆けつけたファンにサインや写真撮影に応じて、盛り上がった。
95年にカナダでの武者修行を終えて帰国した天山は、蝶野と合体。「狼群団」「nWoジャパン」「T2000」など時代をけん引したヒールユニットで共闘し、2人の蝶天タッグではIWGPタッグ王座を3度も獲得するなど数々の実績を残した。だが、サイン会中も「2人だけのサイン会はたぶんない」(蝶野)「本当に悪いことばっかりやってたから、サイン会自体やっていない」(天山)というほど、希少な機会に2人は感慨深げだ。
天山は引退試合まで残り1か月を切り、サイン会前の控室で蝶野からアドバイスを受けたとい、「『しょっぱいぞ』と言われ、ちょっとしっかりしなきゃと思う。蝶野さんの背中見て育って、プロレスラーとしてやってこられたんで感謝している」と笑みを浮かべた。
腰とヒザの負傷で引退を余儀なくされたが、引退試合に向けたトレーニングは順調に続けており「最後しっかりできるように頑張りたい」と腕をぶす。引退試合の相手には「テンコジ」の盟友・小島聡を希望しているもものの、発表はされていない。そこで「変えようがありますんで、ぜひ。蝶野さんに胸を貸してもらいたい」と、ムチャぶりしてみせる。
これに蝶野は苦笑いしながらも「よくここまで続けた。35年新日本に在籍して、続けているってすごいなと思う。たぶんもう満身創痍で大変な状態だと思うんで、とにかく引退試合まで何とかたどり着いてもらいたい」と後輩をねぎらう。引退試合を見届けるため、8・15両国大会には駆けつけることも約束した。
その上で「今ある自分だけでいいと思う。最後の試合だと、目指す体調とか試合とか、いろんな思いが出てくると思うが、ありのままの天山でいい。満身創痍なことは自分も知っているので、隠さずできるものでいい。俺は無理をしないでいいと思う。見る側もそういう形で見てもらいたい」とズバリ。天山の現在のコンディションをおもんぱかってのアドバイスを送った。
これに天山は「蝶野さんには本当にお世話になった」と笑顔を崩さない。久しぶりに顔を合わせても、2人の黒い絆は変わらなかった。
2026年07月04日 19:19
新日本プロレス4日の山形大会に、極悪軍団「ハウス・オブ・トーチャー(H.O.T)」のSHO(36)に代わって、2代目ディック東郷が参戦した。
2026年07月04日 18:08
マリーゴールド4日の錦糸町大会でツインスター王者の天麗皇希(29)が極悪軍「ダークネス・レボリューション(DR)」の野崎渚(35)に3WAY戦で敗北した。
この日の第4試合はツインスター王者「ツインタワー」の天麗、後藤智香組がDRの野崎&CHIAKIとノンタイトルのタッグマッチで激突する予定だった。しかし大会開始前に後藤の体調不良による欠場が発表。急遽、天麗VSCHIAKIVS野崎の3WAY戦が実施されることとなった。
天麗はDRの2人から連係攻撃を受け続け、3WAYとは名ばかりの数的不利を背負わされる。それでも敵軍を分断に成功すると、野崎にアメジスト・バタフライを決めて勝機をつかんだ。
しかしレフェリーの足を引いたCHIAKIに妨害され3カウントはならず。その後もDR軍の策略に翻ろうされ続け、最後は野崎のノアールランサー・ハイでマットに沈んだ。
試合後マイクを握った野崎からは「今日チャンピオン負けてるわけだから、DRにツインスター挑戦する権利あるよね」とCHIAKIと瀬戸レア組での王座挑戦を主張される。同調したCHIAKIからも14日新宿大会でのタイトル戦決定を勝手に宣言された。
天麗は「CHIAKIと瀬戸レア、いいよ。受けて立つよ。智香、勝手にいいよとか言ってごめんだけど、多分今日の試合見たら智香の気持ちも同じになると思う」と受諾。大会開始2時間前に後藤の欠場が決まったことを明かした上で「ぐちゃぐちゃのボロボロの状態ではあったけど、防衛戦も決まったし、結果オーライってことでいいんじゃないですか」と腕を鳴らしていた。
2026年07月04日 18:07
新日本プロレスで活躍する人気プロレスラーの本間朋晃(49)が4日、現役を引退することを表明した。
本間はこの日、地元・山形で行われた大会前のリングに上がり、古傷の首の不調を理由に欠場したことを陳謝。その上で「私、本間朋晃はプロレスラーを引退します」と表明した。来年の山形大会(日程・会場は未定)で引退試合をすることを宣言し、それまでは試合には出場せずに約1年間新日本の会場でサイン会を行う意向だ。最後は「こけし・イズ・ハッピー! 幸せになろうぜ!」の決めゼリフで、会場をわかせた。
無念の決断だった。本間は2017年3月の沖縄大会で中心性頸髄損傷の大ケガを負った。手術と懸命のリハビリを経て、18年6月の山形大会で奇跡の復活を遂げたものの、復帰前のパフォーマンスには戻らなかったことで長いあいだ葛藤を抱えていた。また今年5月に受けた検査で、頸椎の骨が大きく変形していたことが判明し、リングに上がることの危険度が高まっていたことも決断の大きな要因となった。
浜口ジム出身の本間は1997年5月に大日本プロレスでデビュー。デスマッチ路線でエースとして活躍するも2000年10月に退団し、フリーを経て02年3月に全日本プロレスに入団した。
06年5月に全日本を退団すると再びフリーを経て、新日本プロレスを主戦場に。09年に正式に入団し、12年3月には契約を解除されたものの、13年3月からフリーとして新日本マットに参戦していた。
本間の代名詞と言えば必殺技のこけし(変型ダイビングヘッドバット)だ。かなりの高確率で相手に避けられるものの、同技のモーションに入るだけで観客の視線を釘付けにした。14年には「G1クライマックス」に初出場するも全敗。翌15年にG1のワースト連敗記録を「17」でストップし石井智宏から初勝利を収めた試合は多くのファンの心に刻まれ、同年にはプロレス大賞の技能賞も受賞した。
さらに07年2月に加入したユニット「G.B.H」時代から続く真壁刀義との絆は深く、「ワールドタッグリーグ」連覇(15、16年)、16年にはIWGPタッグ王座奪取など実績を残した。
また喉に強烈なラリアートを受けたことを機に、声がガサガサになったことも後のブレークを呼んだ。不慣れな人には何を言っているのかサッパリ分からないことがウケて、バラエティ番組でも引っ張りだことなった。
多くのファンに愛された本間。デビュー30周年の節目を迎える2027年に、こよなく愛し続けたリングを去る。
2026年07月04日 16:39
マリーゴールド4日の錦糸町大会で石川奈青(32)がデビュー戦を控える練習生のあんりから挑戦状を叩きつけられた。
石川はこの日の第3試合で初来日のアリア・ジェームズと激突。ダブルアームドライバーを決めるなどダメージを与え続けたが、一進一退の攻防の末、DDTでマットに沈んだ。
試合後リングに登場したのが、今夏でのデビューが発表された練習生のあんりだ。マイクを握ると「石川さん。私のデビュー戦の相手をしてください」と直訴された。敗戦直後の石川が理由を尋ねると「デビュー戦から勝ちに行きたい。石川さんなら勝てると思って指名させていただきました」と下剋上を宣言された。石川はあんりのやる気を問いただした上で「デビュー戦からボコボコにしてやるよ」と応じていた。
バックステージでは「正直ちゃんとあいさつされたこともないんで、あんま知らない。勝てると思って、なめてるのは別にいいんです」と冷静にコメント。だがその後、「けど、まずは腹から声を出せ! お前はそこからだ!」とドスの聞いた声で言い放っていた。試合の日程は追って発表される見通しだ。
2026年07月04日 13:59
東京女子プロレス4日の新木場大会で、プリンセスタッグ王者の「白昼夢」こと渡辺未詩、辰巳リカ組が「享楽共鳴」こと中島翔子(34)&ハイパーミサヲとの前哨戦に臨んだ。
2026年07月04日 13:58
東京女子プロレス4日の新木場大会で、山下実優(30)がプリンセス・オブ・プリンセス王座奪取へ視界良好となる快勝だ。
18日の東京・後楽園ホール大会で挑戦を控える山下はこの日、ハットリ桜と組んで同王者の荒井優希、芦田美歩組との前哨戦に臨んだ。序盤から何発も強烈な蹴りを叩き込んだ山下は、荒井と左手をつかみあってエルボーを打ち合うなどやりあうと鋭いラリアートをズバリ。サソリ固めを狙う荒井に対し、足下をくぐってバックをとるなど応戦した。
その後、一進一退の攻防となったが、最後は荒井をスカルキックで排除してから芦田を変型コブラクラッチで料理して完勝した。
山下は「まだまだこんなもんじゃねえぞ。私が荒井を蹴り倒して東京女子のチャンピオンになります」と宣言だ。その後も「最後、攻め込めたかなと思いますが荒井もこんなもんじゃないのは分かっているので気を抜かずに心も体も作っていきたい」と油断なし。
対する荒井は「山下さんに勝ってベルトを防衛して東京女子プロレスのチャンピオンは荒井だって見てもらえるように頑張ります」と拳を握るのだった。
2026年07月04日 13:44
東京女子プロレス4日の新木場大会で、上原わかな(30)が鈴芽を破ってインターナショナル・プリンセス王座奪取に弾みを付けた。
18日の後楽園大会で王座に挑戦する上原はこの日、凍雅と組んで鈴芽、遠藤有栖組と対戦。両者先発すると、いきなり激しい攻防で観客を沸かせる。その後、鈴芽から左脚への集中攻撃や敵軍の連係攻撃を受けた上原だが、ピンチを脱すると渾身のエルボー連打からバナナピローにつないで反撃。さらに救助に入った遠藤の蹴りを誤爆させて流れをつかむと、最後は粘る鈴芽を再びバナナピローでとらえてギブアップを奪った。
試合後、上原は「やっと自分で勝利をつかめました…。前哨戦負け続けて、前回勝ちはしたものの何もできなかった。やっと勝ち筋が見えてきたので、このまま鈴芽さんのベルトを完食したいと思います」と意気込み。このまま悲願の王座戴冠となるか。
2026年07月04日 10:23
プロレスラーのジャガー横田(64)が今月24日に後楽園ホールで「デビュー50周年記念大会〜結集〜」を開催する。
中学を卒業し全日本女子プロレスに入門。1977年6月28日にデビューした。86年2月15日に引退も95年1月4日に復帰。以後、様々な団体に参戦し現在はワールド女子プロレス・ディアナに所属する戦い続けた50年。ジャガーはこのほど、スポーツ報知の取材に応じ激動の半世紀を回想した。
15歳で入門した全日本女子プロレス。当時は、ジャッキー佐藤&マキ上田の「ビューティ・ペアー」が人気絶頂だった。客席からは華やかに見えたリングの裏側は、過酷なサバイバルだった。
「負けたらやめなきゃいけない。負けられないと思っていました。だから、ただ、ひたすらにがむしゃらに勝てばいいと思ってやっていました」
身長160センチ、体重は60キロに届かなかった。小柄な自分が生き残るためには「勝つ」以外に方法はなかった。壁にぶち当たっても打ち明ける相手はいなかった。
「他の人に相談なんかできません。全員、敵ですから。だから自分との闘いでした。自分に負けたら終わりでした。辞めていく人もいましたが、言い方は厳しいですけど、みんな自分に負けたから辞めたと思っていました」
ジャガー自身は辞めることを考えたことはなかった。
「1回も辞めようと思ったことはありません。なぜなら、中学を卒業して入って辞めたら他に行くところがないわけです。だから、ここに残るしかない。ここでどうにかならないといけないと言い聞かせていました。10代の私はクビにならないようにしなきゃと思って過ごしていました。振り返ると全女時代は気が抜けない毎日でした。だからこそ努力できました」
強さを磨きデビューから3年後の80年1月に全日本ジュニアの初代王者に輝いた。18歳だった。
「全日本ジュニアのベルトを巻いてチャンスをいただきましたが、これを本物にしなきゃ辞めないといけないと思っていました。ずっと全女時代はそうでした。気の休まる時がない。だけど、16歳から常に追い込んできて、それが普通でしたから辛くも何ともありませんでした」
運命の勝負が来る。1981年2月25日、横浜文化体育館。入団前から憧れ、付け人を務めていた師匠とも言えるジャッキー佐藤と対戦した。当時のリングネームは「横田利美」。師匠のWWWA世界王座へ挑んだ一戦は、押さえ込みでジャガーが勝った。
「たまたま私が勝てたからベルトを腰に巻いたけど、そこからが大変でした。例えば、あの試合が終わってから私とジャッキーさんがタッグを組むことがありました。チャンピオンではないけどジャッキーさんが偉大な方であることは変わりないわけです。だけど、タッグを組むとチャンピオンは私だから、リングアナのコールは私が後になるんですね。“ジャッキー佐藤”ってコールすると会場は、キャァーって大歓声が沸くわけです。その後に“横田利美”ってコールされると、会場はシーンとなるんですね。当時は年間300試合ありましたから、これが全国どこへ行ってもです。人気は仕方ないんですが、コールに象徴されるようにジャッキーさんより上の立場になることが重くて重くて仕方なかったです。ベルトを巻く前は、チャンピオンになることがすごいことだとずっと思ってたけど、それだけじゃないんだなと感じたこともありました」
頂点に立った重圧で体調に異変が起きた。
「ジャッキーさんに勝ったことは当時の私には重たすぎました。ベルトを返したかったほどです。勝ったけどジャッキーさんを超えることなんてできなかった。それで食べられなくなって10キロやせました。60キロぐらいから50キロ切りました。だけど、試合では負けたらやめなきゃいけないと思ってましたから、負けられないと必死でした。そんな葛藤も誰にも言えず自分で考えるだけでした。防衛戦の前は特に食べられなくて精神的にも体力的にも防衛していくことが大変でした」
全日本女子は、松永高司が社長を務め兄弟が運営する同族会社だった。悩みや、苦しみを「松永兄弟」に打ち明けることもできなかった。
「松永兄弟にも相談しませんでした。あの方たちは、みんなの社長でありマネジャーですから自分が独占することはできませんでした。だから、すべて自分の中で消化しました」
今、ジャッキーに勝ったビデオを見ると気がつくことがある。
「勝った瞬間に気まずい顔をしているんです。ベルトを取った!っていう喜びじゃなくて取ってしまった…勝ったことへのバツの悪さがあったんでしょうね。もちろん、勝った安堵感もありましたが、あの試合から45年もたっているのにあの時の気持ちはまだ覚えています。それがあるから今の自分があるんです」
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王座は連続7回防衛し、1度、奪われるも4度防衛し引退を表明した85年12月に返上した。ジャガーは、自らの決意通り「負けない」女王としてリングに君臨した。孤独な防衛ロードを支えたのは、ゴールが決まっていたからだった。当時の全日本女子は、25歳になったら引退する「25歳定年制」が暗黙の了解として定められていた。
「あの当時は、こんなにやるとは思ってませんから。定年制があったからそこまで頑張ればと思っていました。ゴールが見えて、限りがあるからそこまで頑張ればいいと思ってましたから、何とかリングに上がり続けられました」
さらにベルトを守り続けられたのは後輩の存在が大きかった。それがデビル雅美だった。1年後輩のデビルは身長168センチ、体重90キロと恵まれた体格とパワー、圧倒的な存在感でジャガーの牙城に迫っていた。
「デビルは、すごい実力があったから負けないように頑張らないとダメだと思っていました。デビルとの試合は、彼女が体が大きいからきつかったです。彼女がいてくれたから私は頑張り通せました」
86年2月15日、川崎市体育館での引退試合もデビル雅美が相手だった。24歳での引退した理由を明かす。
「20歳の時に彼氏ができて。辞めて結婚すればいいかなぁと思ったんですよね」
95年1月に復帰。04年には医師の木下博勝さんと結婚、06年11月には“JJ”こと木下大維志くんを出産した。
「結婚して出産して今も現役。私はすべてのものをモノにしている。こんな幸運な人はレスラーとしていないと思います」
ジャガーは「プロレスは人生のすべて」と明かす。象徴的な伝説がある。大維志くんの妊娠が分かった後、決まっていた5試合をリングで戦ったのだ。流産の危険もあったがジャガーは決意していた。
「妊娠が分かったんですけど、約束していた5試合が決まっていたからリングに上がりました。その時、私はおなかの子に伝えたんです。“私はあなたと出会う前にプロレスと出会っていたからやるよ”と。プロレスは私のすべてなんです」
万感の50周年記念大会。ジャガーは尾崎魔弓、アジャコングと組んでスターライト・キッド、星来芽依、ウナギ・サヤカと対戦する。
「歴史と今のぶつかり合い。私のプロレス人生をかえてくれた教え子のアジャ。ギネス世界記録(2023年8月に「タッグチームプロレスリングチャンピオンシップを優勝した最高齢ペア(女性)」)になった尾崎と組んで、今の時代を担う選手と対戦する。どういう試合になるのか想像もつかないけど、ひと口に古いから、おばさんだからで片付かないような試合にしたい。若い子には若い子のプロレスがある。私には私のプロレスがある。だけど、今の時代を生きているから私が若い子に挑戦する試合になります」
6月28日に64歳になった。デビュー50年、そして還暦を超えても第一線で戦える理由を「大きなケガがなかったことが第一」と明かし、こう明かした。
「プロレスは、言葉は悪いけど飽きることなく追求し続けられる。同じ試合は同じ相手ともできないですから。それが魅力。常によりいい試合をしていくためもっともっと…と思う。お客さんに喜んでもらえる試合って答えが出ないんです。これが1+1が2だったら面白くないと思う。何が正解かわからないから面白い。そこが追求できるし満足しない。満足しちゃいけない」
最後にこれからのプロレスラーへメッセージを送った。
「あなた自身は人と同じではない。唯一の1人にならないといけない。それを自覚しなきゃいけない。そのために努力してほしい」
(敬称略。福留 崇広)
◆デビュー50周年大会 スペシャルゲスト
マキ上田、長与千種、ライオネス飛鳥、ジャンボ堀、小峯広子、高階由利子【ジャガー横田同期】縞せい子、小宮山忠子
◆7・24後楽園全対戦カード
▼メインイベント ジャガー横田デビュー50周年記念試合〜ライジング・スターズ〜 6人タッグマッチ60分一本勝負
ジャガー横田&尾崎魔弓&アジャコング vs スターライト・キッド&星来芽依&ウナギ・サヤカ
▼セミファイナル 10年ぶりの対戦が実現!チェイス・ザ・太陽神 シングルマッチ30分一本勝負
Sareee vs 優華
▼第3試合 全女タッグチャンピオンズマッチ タッグマッチ30分1本勝負
堀田祐美子&井上貴子 vs 伊藤薫&渡辺智子
▼第2試合 Hey尻, what`s strong? タッグマッチ30分一本勝負
越中詩朗、間下隼人 vs 黒潮TOKYOジャパン、小川彪
▼第1試合 アルテミス・ロワイヤル選手権試合 変則ルールバトルロイヤル
王者・AKINO vs 挑戦者・KAZUKI、藪下めぐみ、水波綾、ラム会長、夏実もち、関口翔、花穂ノ利、叶ミク、風南ユキ
2026年07月04日 10:00
地方には、まだ知られていない逸材が眠っている――。
2026年07月04日 05:01
ボクシング元IBF世界スーパーバンタム級王者でWBO同級6位の小国以載(38)=角海老宝石=が、8月16日に後楽園ホールでアレックス・サンティシマ(26)=フィリピン=と同級10回戦を行うことが3日、発表された。4月の前戦では元WBA・IBF世界同級統一王者マーロン・タパレス(フィリピン)から殊勲星を挙げ、世界ランクも再浮上。「世界につなげたい。負けたら引退という局面で負けられない」と腕をぶした。
スーパーバンタム級は井上尚弥(大橋)が4団体王座を独占しているが、暫定王座が設けられる可能性もあり、チャンスをうかがう。主催者の伊藤雅雪代表は「世界に行っていいと(内容で)見せてほしい」と期待を込めた。
2026年07月04日 05:00
「大相撲名古屋場所」(12日初日、IGアリーナ)
昨年の名古屋場所を制した関脇琴勝峰(26)=佐渡ケ嶽=が3日、名古屋市西区の部屋で稽古を行い、綱とりに挑む大関霧島らを相手に精力的な動きを披露した。
前日に続いて出稽古に訪れた霧島から指名され1勝4敗で「勝てなかった。土俵際ができていなかったですね」と反省。それでも内容的には前に圧力をかけ「もっと厳しくできると思います」と改善を誓った。王鵬、藤ノ川、狼雅らには8勝2敗と力を見せた。
名古屋場所の会場を移転した昨年は平幕で初優勝。IGアリーナ初代覇者となった。先場所は新三役の関脇で9勝をマークし、番付を上げて帰還。「昨年より上の地位で帰れたのは良かった。でも挑戦は変わらない。まだまだ上の番付がある」とキッパリ。2度目の優勝、大関昇進を見据え、IGアリーナ2代目覇者はつくらせないつもりだ。
2026年07月04日 05:00
新日本プロレス真夏の祭典「G1クライマックス」(11日、米シカゴで開幕)で初優勝を狙う上村優也(31)が、団体の新しい顔となる。
3年連続3度目の出場となる上村だが、Bブロックにエントリーされたメンバーの中で、唯一タイトル歴がない(注・2024年のKOPWは年内最後の保持者が覇者と認められる変則タイトル)。「よくG1出れたなって…。でも、焦っても仕方ないので。僕は僕の道でG1を取るし、IWGPを取りたいと思います」と腕をぶす。
同期の辻陽太がIWGPヘビー級王座、タッグパートナーだった海野翔太がIWGP GLOBALヘビー級王座と同世代の選手が次々と勲章を手に入れた。「負けてられないという気持ちはもちろんあります。でも、何も取ったことのない僕にしか見せられない光景があると思うんです」と対抗心を燃やした。
新日本は6月30日から親会社が代わり、テレビ朝日の連結子会社となった。ブシロード体制となった2012年のG1ではオカダ・カズチカ(現AEW)が初優勝し、トップ選手としての地位を確固たるものにした。上村も新体制初年度のG1で一躍ブレークを果たすつもりだ。「体制が変わってのG1クライマックス、すごく意味があると思うんですよ。ニュースタンダードなストロングスタイルを見せた上で優勝するのが、僕の今回のG1のテーマです」と力強く言い切った。
新時代に突入している団体だが、メディアや広告案件では今も今年1月4日東京ドーム大会で引退した棚橋弘至社長が中心に露出している現状がある。「それは変えたいですね。ずっとこのままだと良くはないというか。分かりますよ。先方としては棚橋弘至は知名度もあるし、使いやすいと思うんです。だから早くそこに代わる現役選手が出てこないといけないと思うんです」。
この夏、セルリアンブルーのリングに新しい太陽が昇る。