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2026年08月05日 11:33
◆全日本プロレス「全日本プロレス祭り2026」(2日、東京・ドーム立川立飛)観衆880人(札止め) 全日本プロレスは2日、東京・立川市のドーム立川立飛で「全日本プロレス祭り2026」を開催した。 前売券が全席完売となった大会でGAORA TV王者の羆嵐がドラゴンゲートの望月成晃と2度目の防衛。真っ向からパワーをぶつけた王者に望月は得意の打撃技で対抗。熱い戦いは、望月が真・最強ハイキックをさく裂させ勝利しベルトを奪取した。 56歳の戴冠に望月はリング上で「羆嵐、聞こえてるか。久々来た俺の突然の挑戦を受けてくれてありがとう。オマエから取ったからにはな、このベルトの価値、俺が責任をもって爆上げしてやるから。安心して、任せとけよ」とメッセージを送り札止めとなったファンへ「このベルトを取ったということは、また全日本プロレスにお邪魔することになってもいいですよね? 望月成晃、56歳。まだまだ頑張りますので、皆さまこれからもよろしくお願いします」と明かしていた。 バックステージで望月は「正直、真っ向から来たら俺はもうこの歳だから…と思ったけど、しぶといね俺も。つくづく思うよ。このGAORA TVのベルト、俺が取ったからには、羆嵐から取ったからには、もっともっと価値を爆上げしていくから。誰でもいいぞ、かかって来い。団体の垣根を全部取っ払って、誰の挑戦でも受けてやる」と宣言した。 ◆8・2立川立飛大会全成績 ▼第1試合 シングルマッチ 15分1本勝負 △小藤将太(引き分け)矢野安崇△ ▼第2試合 タッグマッチ 20分1本勝負 〇青柳優馬、河野真幸(8分56秒 エンドゲーム)鈴木秀樹、芦野祥太郎● ▼第3試合 スペシャルタッグマッチ 30分1本勝負 斉藤ジュン、〇潮粼豪(15分07秒 豪腕ラリアット→体固め)斉藤レイ、関本大介● ▼第4試合 GAORA TVチャンピオンシップ 〇挑戦者・望月成晃(14分02秒 真・最強ハイキック→体固め)王者・羆嵐● VS ▼タッグマッチ 宮原健斗、〇本田竜輝(13分35秒 飛行機投げ固め)綾部蓮●、安齊勇馬 ▼Road to ゼンニチJr.フェスティバル ランブル 2026 〇吉岡世起(23分41秒 クラッシュドライバー→エビ固め)矢野安崇● ※退場順は、レオン・デ・オロ、MUSASHI、“ミスター斉藤”土井成樹、田村男児、立花誠吾、ライジングHAYATO、小藤将太、大森北斗、青柳亮生
2026年08月06日 19:09
新日本プロレス6日後楽園大会の試合前に、85歳で死去したドリー・ファンク・ジュニアさんの追悼10カウントゴングが行われた。
この日、試合前の会場ビジョンに現役時代の写真が映し出され、元レフェリーのタイガー服部さんが遺影を持ち、棚橋弘至社長とともにリングに上がった。
所属選手もリングサイドに立ち、リングアナウンサーから経歴が紹介されると、故人の栄誉を称え追悼の10カウントがささげられた。また、入場曲「スピニング・トー・ホールド」が流れると、大きな拍手が巻き起こった。
ドリーさんは1963年にデビュー。弟のテリーさんとともにタッグチームを結成し、数々の功績を挙げた。また、指導者としてはスタン・ハンセン、タリー・ブランチャードらに加え、日本のジャンボ鶴田、天龍源一郎ら後のレジェンドも育て上げた。
2026年08月06日 16:00
【グレイシーハンターの真実 IQレスラー桜庭和志 実録 桜道(38)】2010年もいろいろありました。まずは5月29日の「DREAM.14」でハレック・グレイシー(ブラジル)戦です。アームロックを取れそうだったんですが、そのタイミングでハレックのズボンが脱げそうになるという、まさかのアクシデント。これで試合を止められて流れが切れてしまったりして、結果は判定負けでした。
だけど、僕としては良い技ができてうれしかったんです。実は俺の勝ちって思っていました。必殺のローキックができたからなんですよ。カーフキックとも違う場所をタイミングを見て狙うんですよ。この蹴りがヒットして、翌日スタッフにハレックの脚が大丈夫だったか尋ねたところ「松葉づえを突いて帰っていきました」と聞いて満足でした。
次の9月25日「DREAM.16」でのジェイソン・メイヘム・ミラー(米国)戦は初めて試合で落ちました。第一印象で「デケえな」と思いましたけど、体が柔らかかった。流れで足を取りにいこうかと思ったら上に乗られて肩固め。「あ、やべえな、どうしよう」って考えている間に落ちちゃったんですよね。その後、意識を取り戻してセコンドに「あれ? 試合終わった?」って聞いたら、そいつが目をそらしながら「桜庭さん、落ちました」って(笑い)。でも一つ言わせてください。僕、ギブアップしてないですから!
そして、この年一番の事件となったのが大みそかに戦ったマリウス・ザロムスキー(リトアニア)との対戦でした。この試合で右耳が取れちゃったんです…。最初、打撃の攻防になった後にザロムスキーが少し下がったから今だと思ってタックルに入ったんです。そのタックルを切ろうとしたザロムスキーの腰骨辺りがちょうど僕の右耳に当たったんです。すると、レフェリーが僕の耳を見ながら慌てて「ストップ! ストップ!」って言ったんです。
それで触ろうとしたら止められて…。タックルに入る前、ザロムスキーのパンチが僕の耳にかすって、ちょっと割れていたから「あー、取れたかー」と思ってマイクで「すいません、耳が取れちゃいました」って言ったんです(1ラウンド2分16秒TKO負け)。
試合後、病院に直行。実はスパーリングでも耳がしょっちゅう割れて痛かったんです。それがあまりに頻繁だったから、先生に「耳はもういらないんで、このまま取っちゃってください」って。だけど先生に「桜庭さん、耳はあった方がいいですよ」って諭されて…。それでも「いつも痛いからいらないです」っていうやりとりを30分。その結果「まず1回付けて、軟骨を削りましょう」と。それで薄くなった右耳が今もこうしてくっついています(笑い)。
2026年08月06日 14:56
1分間最強を決める格闘技イベント「BreakingDown(ブレイキングダウン)」に出場している久保達也が5日、自身のXを更新。交通事故にあったことを報告した。
「交通事故に遭いました。ブレイキングダウンどころじゃなくなりました。しばらく休みます。早く治して復活します」と綴り、顔中にガーゼが貼られた痛々しい姿などとともに投稿した。
5月のBD19・5では5・8キロ体重超過した相手に勝利し、実力を示していた久保。フォロワーとのやり取りの中では自転車で車に跳ねられたことを明かした。コメント欄などでは「事故とかマジかよ ゆっくり休め」、「命があってよかった」との声が寄せられていた。
2026年08月06日 12:10
米国・AEWの「AEW DYNAMITE」(メキシコシティ、アレナ・メヒコ)が5日(日本時間6日)に放送され、オカダ・カズチカ(38)が原点の地・メキシコに凱旋するも勝利を逃した。
2026年08月06日 12:08
プロレスリング・ノアは6日、10・25両国国技館大会と12・31横浜BUNTAI大会で新たな無料観戦キャンペーンの実施を発表した。
ノアは、これまでに小中学生の入場無料などを実施してきたが「この度、NOAHの戦いをまだ見たことがない方々にNOAHの熱い戦いをお届けするため”初めて観戦する方”に限り、無料でご観戦いただけるご招待キャンペーンを実施いたします」と告知し「『プロレスという言葉は知っているけど、実際に観たことはない』『NOAHが気になっているけど、なかなかきっかけがなかった』そういった方の初観戦を後押しする本キャンペーンを通じて、ぜひ初めてのNOAH観戦をお楽しみください!」と呼びかけた。
応募条件は「NOAHをこれまで観戦したことがない方(過去にチケット購入履歴、来場履歴がある方は本キャンペーンの対象外となります)」「ファンクラブサイト『NOAH’S ARK』の無料会員登録が必要となります」。
対象となる大会は「2026年10月25日(日) 両国国技館大会」と「2026年12月31日(木) 横浜BUNTAI大会」で「無料観戦はどちらか1大会のみとなります。お申込みは特設サイトをご確認ください」と告知していた。
さらに「先着順・定員制のため、予定枚数に達し次第受付を終了いたします」「お席につきましては、こちらで選定させていただきますことをご了承ください」と呼び掛けていた。
2026年08月06日 12:00
日米のプロレス界でトップレスラーとして活躍した元NWA世界ヘビー級王者のドリー・ファンク・ジュニアさんが4日、85歳で亡くなった。
ドリーさんは、弟のテリー・ファンクさんと共に父親でプロレスラーのドリー・ファンク・シニアさんの薫陶を受け大学卒業後にプロレスラーとなり、1963年1月にデビューした。
69年2月11日、フロリダ州タンパでジン・キニスキーを破り、当時、世界最高峰のタイトルだったNWA世界ヘビー級王座を28歳で獲得。73年5月24日にミズーリ州カンザスシティでハーリー・レイスに敗れるまで、4年3か月間にわたり防衛した。
初来日は69年11月の日本プロレスだった。12月2日に大阪府立体育会館でアントニオ猪木さんと60分フルタイムで防衛。翌日の3日には東京体育館でジャイアント馬場さんと同じく60分フルタイムで連続防衛し実力と驚異的なスタミナを日本のファンに見せつけた。
馬場さんが72年10月に全日本プロレスを旗揚げすると弟のテリーさんとの外国人レスラーを招聘(しょうへい)するブッカーも担当した。レスラーとしても看板選手として来日。テリーさんとの「ザ・ファンクス」は1977年12月15日に蔵前国技館で行われた「世界オープン・タッグ」最終戦でアブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シークとの対戦でテリーさんがブッチャーのフォークで腕を刺されながら優勝し感動を呼んだ。
ドリーさん、そしてテリーさんとの兄弟タッグ「ザ・ファンクス」の闘いを華やかに盛り上げたのが入場テーマソング「スピニング・トー・ホールド」だった。
同曲を入場テーマに採用したのが当時、日本テレビが毎週土曜夜8時から中継していた「全日本プロレス中継」のディレクターだった梅垣進さんだった。
梅垣さんは、全日本プロレスの大会でミル・マスラカスの「スカイハイ」をはじめ、レスラーの入場時にテーマソングを流すことを手がけた。
「スピニング・トー・ホールド」は、ロックバンド「クリエイション」のリーダー、竹田和夫が作曲した。1977年発売のアルバム「ピュア・エレクトリック・ソウル」に「SPINNING TOE‐HOLD」として収録されている。
梅垣さんは「ファンからのはがきでこの曲を知りました。聞いてみると、ファンクスのイメージにピッタリだなと思いまして、そのまま使いました」と明かす。
「スピニング・トー・ホールド」が一気にファンの間で浸透し感動を呼んだシーンがある。
それが「世界オープン・タッグ」最終戦のブッチャー、シーク戦の試合後だった。テリーさんが腕をフォークに刺されながら優勝した表彰式。ドリーさんと肩を組んで感涙するリングを見てディレクターだった梅垣さんは、独断で「スピニング・トー・ホールド」を蔵前国技館の館内に流したのだ。
満員の観衆はテーマソングにのって手拍子し、テリーは雄たけびを上げて号泣した。梅垣さんは当時を振り返る。
「(プロデューサーの)原(章)さんに事前に言わなくて場内の雰囲気で僕が判断して原さんに黙って流しました。もしも、場内がしらけたら後で怒られたと思いますが、おかげさまでファンのみなさんが盛り上がってくれたから何も言われませんでした。ディレクターとしては黙って流したのは良くないことですが、盛り上がってくれて良かったです」
梅垣さんの独断で「スピニング・トー・ホールド」はプロレス史に残る伝説の名曲となった。
「入場の時にかかっていたテーマソングが試合後にかかったのはこの時が初めてでした。館内の盛り上がり、テリーの涙…様々な思い出があって今もすごく印象に残っています。当時のファンの方も印象に残っているシーンだと思います」
今は、日本でも海外でも試合後、勝利した選手のテーマソングを流すのが定着した。すべては、49年前の「スピニング・トー・ホールド」が出発だった。
「ファンクスは全日本にとって最大の功労者です。僕も大好きなレスラーでした」
大好きなドリーさんの試合で梅垣さんは「ファンクスでのタッグでの試合が一番、覚えている」と数多くの名勝負に思いをはせた。ドリーさんのシングルマッチで思い出深い一戦を明かした。
「シングルではオープン選手権の開幕戦で足立区体育館でブッチャーとシングルマッチをやったんですが、これをすごく覚えています」
75年12月6日の足立区体育館でのブッチャー戦を挙げた。この一戦は土曜夜8時から生中継だった。
「どうしてこの試合が印象に残っているを覚えているかというと、ドリーが場外でブッチャーへブレーンバスターをやったんです。あのブッチャーをブレーンバスターで投げた選手を見たことがなかったので本当にびっくりしました」
2023年8月23日にテリーさんは79歳で亡くなり、ドリーさんが逝った。「ザ・ファンクス」は、伝説となった。梅垣さんは哀悼の思いをささげた。
「ご苦労さまでした。ありがとうございます。天国で馬場さん、ジャンボ(鶴田さん)、テリーと楽しんでください」(福留 崇広)
2026年08月06日 09:49
2022年10月1日に亡くなった国民的プロレスラー、アントニオ猪木さん(享年79)の肖像権などを管理する猪木元気工場(IGF)は5日、名古屋栄三越で今月26日から9月7日まで「燃える闘魂 アントニオ猪木展」を開催することを発表した。
3階特設会場で行う展覧会では、猪木さんが試合で使用した希少な品々やライバルたちとの壮絶な激闘を物語る歴史的な写真パネルの数々などを展示する。入場は無料。
さらに29日には、8・15両国国技館で小島聡と引退試合を行う天山広吉が来場し「トーク&サイン会」を実施。また、「レジェンドレスラーイベント」とし武藤敬司(29日)、藤波辰爾(30日)、前田日明(9月5日)、初代タイガーマスク(9月6日)が来場する。
2026年08月06日 09:26
全日本プロレスは5日、青柳亮生が負傷で8・9後楽園ホールで開幕する「ゼンニチJr.フェスティバル2026」を全戦欠場することを発表した。
2026年08月06日 06:00
全日本プロレスの安齊勇馬(27)は、ブレーク中も慢心とは無縁だ。
「バチェロレッテ・ジャパン」シーズン4への参加で人気に火が付き、現在引っ張りだこ。4日には「GAORA SPORTS」で14日に放送・配信される「安齊勇馬の#ハジメテタッグ」の収録にも挑んだ。
さらに12月には、初のドラマ出演となる「二代目!ラーメンD 伊達一平」(CS日テレプラス)、2027年秋には映画「傀/KAI」の公開も控え、俳優としての活動にも期待が寄せられている。演技力については「(演技指導者に)『素直だし、いろんなこと想像できると思うからちゃんと吸収してればそれなりにできるよ』って言われて。それを3倍くらいに膨らませて自信にしてます」と胸を張った。
順調に活動の幅を広げ、順風満帆とも思えるが、安齊は意外にも危機感を持っているという。「結局『人気だったね』、『すごかったね』で全部27年には過去のことになってしまうと(困る)」と爆発的ブレークを果たしたために、自らにプレッシャーをかけ続けている。
もちろん、リング上でも気を緩めることはない。29日大田区大会では、宮原健斗が持つ3冠王座に挑戦する。宮原を「全日本プロレスを1人で支えた大黒柱」と評価しつつ「僕のしてる覚悟も、そうそう人には負けない」、「僕がトップに立つためには宮原健斗という存在を超えないといけない」と勝利を宣言。また「王道トーナメント優勝、世界最強タッグリーグ優勝。そういった目に見えて分かるタイトルが欲しい」と次なる目標も挙げ、頂点取りへ野心を見せた。注目を浴びても天狗になることはない。名実ともにトップに立つために、さらなる高みを目指し続ける。
2026年08月06日 05:00
プロレス界のレジェンドで元NWA世界ヘビー級王者のドリー・ファンク・ジュニアさんが4日、85歳で死去しマット界には悲しみが広がっている。弟・テリーさん(故人)との伝説のタッグ「ザ・ファンクス」として1970〜80年代に大旋風を巻き起こしたレジェンドは、日本のプロレス界とファンの心に何を残したのか。当時を知る全日本プロレスの名誉レフェリー・和田京平氏(71)が胸の内を明かした。
取材に応じた和田氏は訃報に際し「寂しいのは寂しいけど、いずれこうなるのは仕方のないことだよ」とポツリ。父、ドリー・ファンク・シニアさん、弟のテリーさんに続く別れに「全日本の宝のファンクスファミリーがみんないなくなっちゃったよね…」と胸の内を明かした。
一世を風靡した「ザ・ファンクス」の活躍を眼前で見てきた和田氏は「テリーのプロレスとドリーのプロレスは全く真逆なんだよ。だから面白かった。テリーが攻めて、ドリーが守る。そういった面でいくと、テクニシャンだったのはドリーだったね」と振り返る。裁いた中で最も印象深い試合として、1975年12月のホースト・ホフマン戦を挙げた上で「今はドリーみたいなプロレスをするレスラーっていなくなっちゃったよね。最後の砦が亡くなって寂しさはあるけど、試合を裁けたのはレフェリー・和田京平として名誉だったね」と胸を張った。
リングでは無類の強さを誇る一方、性格は「日本人より日本人らしい」と形容するほど穏やかだった。「どっちかっていうとリングの外のドリーの方が意外に好きだったかな。あっけらかんというか、のほほんとしてて…」と思いをはせる。「入場もゆっくり来るもんだから、リングに着くまでに入場曲の『スピニング・トー・ホールド』が2周しちゃう。今は黒潮(TOKYOジャパン)が入場曲を長くかけて入ってくるけど、そのはしりだったね」と笑った。
さらには巡業先でも、その性格はいかんなく発揮され「ホテルをチェックアウトしてバスが出るまでに、最後に出てくるのはドリー」とらしいエピソードを披露。さらには荷物も若手に任せて出てきてしまうため「1回や2回じゃないから(ジャイアント)馬場さんはよく怒ってたよ。ドリーはいつまでも朝ご飯を食べてる。和食が好きで納豆とみそ汁が大好物だったね」と懐かしんだ。
どれほど時代を彩ったスターも、いつかは別れの時が来る。「PWFの会長もやってくれていたし、お疲れさまだね。空の向こうで馬場さんとまた戦ってほしいなと思いますよ。テリーもいる、ジャンボ(鶴田)もいる。あっちの世界でもプロレスを続けていてほしいね」と惜別のメッセージを送っていた。
2026年08月05日 22:37
DDT5日の新宿大会でKO―D無差別級王者の上野勇希(30)と次期挑戦者のMAO(29)が最後の前哨戦を行った。
上野は11日両国大会でのV9戦でMAOと雌雄を決する。この日は正田壮史、高鹿佑也、佐藤大地、To―yと組んで、「ストレンジ・ラブ・コネクション(SLC)」のMAO、KANON、飯野雄貴、納谷幸男、ビエント・レバンテ組と激突した。
両軍リングに入り乱れる試合は大混戦に。上野はMAOと場外戦でも激しく気持ちをぶつけあった。互いの敵軍に向けて上野がトペ・コンヒーロを、MAOがケブラーダを同時に発射した。
リング上で一騎打ち状態になると上野がシャイニングウィザード、カナディアンデストロイヤーと攻め立てる。MAOも2度目のシャイニングウィザードをキャッチすると垂直落下式ブレーンバスターで返し譲らなかった。
一進一退の攻防の中、孤立したTo―yがMAOとビエントから合体攻撃を狙われる。しかし上野がカットしている隙にTo―yがビエントを丸め込んで3カウント。上野のチームが勝利し、試合は幕を閉じた。
これでビエントの持つ「いつでもどこでも挑戦権」がTo―yに移動。試合後マイクを握ると「欲しかった奴手に入れた。取れちゃったよ。なにこの状況…」と気まずそうにしていた。
上野は「まあできれば(使うのは)両国のもうちょっと先とかにしてくれ」と要請。その上で「両国のメインイベントでMAOとやるのを今何よりも人生の楽しみにしている。MAO改めて言うよもっとくれよ」と投げかけた。一方のMAOも「俺は強いぞ、痛いぞ」と臨戦態勢。決戦まで待ったなしだ。
2026年08月05日 21:20
プロレス界のレジェンドで元NWA世界ヘビー級王者のドリー・ファンク・ジュニアさんが死去した。
2026年08月05日 20:25
DDT5日の新宿大会で行われた今林久弥GM(53)と東京女子プロレスの甲田哲也代表(55)のアイアンマンヘビービーメタル級王座をめぐるいさかいは、すったもんだの末にイルシオンがベルトをかすめ取って決着した。
団体の至宝は試合前の時点で東京女子マットに流出中。さらに悪いことに、なぜか代表の甲田氏が王者である始末だ。この日は今林久弥GMが迎撃に乗り出し、高木三四郎、吉村直巳と組んで、極悪軍「ダムネーションT.A」のイルシオン、MJポーと組んだ甲田氏と6人タッグマッチで激突した。
先発した2人は口汚く互いを罵り合うが一度も肌は合わせることなくそれぞれタッチ。さすがの一般人ぶりを見せつける。それでも一騎打ち状態にもつれ込むと、ロックアップから甲田氏が離れ際にビンタ。超低空Finallyと攻め立てられる。超スローなラリアートの打ち合いから今度は今林GMがGMボンバー(ラリアート)を狙うが甲田氏に避けられチョークスリーパーで捕獲される。脱出かなわず屈辱のギブアップ負けを喫した。
試合後息も絶え絶えにマイクを持った今林GMは「甲田、久々に戦ったけどやっぱお前強いな。今日だけは握手させてくれ」と握手を求めた。しかしこれは罠で、キックから裏拳でベルトを奪取した。
今林GMは「油断してんじゃねーよバーカ」と得意顔。その上で「俺たちのこの不毛な争いもそろそろ終わりにしようや」と言って14日新宿大会でのシングルマッチを要求した。
甲田氏もこれを了承し、ベルトがかけられる予定となった。ところがこっそりリングインしたイルシオンが今林GMをフォールし王座が移動。リングには2人のアラフィフだけが残されていた…。
2026年08月05日 19:15
元プロレスラーで米WWE殿堂入りの武藤敬司(63)が5日、85歳で亡くなったテキサスの若馬ことドリー・ファンク・ジュニアさんを追悼した。
ドリーさんは、弟のテリーさん(故人)と「ザ・ファンクス」で絶大な人気を誇った。武藤の化身「グレート・ムタ」が米国で大ブレークしていた1989年から90年にかけて、WCWでテリーさんとタッグを組み、兄のドリーさんとも親交があった。武藤は本紙の取材に対し「すごく温厚で、俺からしてみたらすごくいいおじさんだよ」と天を仰いだ。
2009年には兄弟そろってWWE殿堂入り。武藤は昨年4月にラスベガスで行われた「レッスルマニア41」を現地で観戦した際に、VIPルームでドリーさん一家と再会。たわいのない話をしたといい「奥さまとべったりだったから、奥さまが一番ガッカリしていると思う」と気遣った。
ドリーさんは、引退後にフロリダでレスリングスクールを設立。武藤がWRESTLE―1の社長を務めていた15年に、道場を訪れた様子が日本テレビ系「アナザースカイ」で放送された。「いい子がいたら、日本に引っ張って行こうぐらいの感覚だったよ」と振り返る。
ドリーさんは、昨年2月に食道がんのため亡くなった元プロレスラーで文京区議の西村修さんを、愛弟子として育て上げた。武藤は「(ドリーさんが)日本に来た時も、付け人のように世話したのは西村だったから。西村がドリーさんを待ってるからね。案内してくれると思う」と哀悼の意を表した。
レジェンドの訃報に、プロレス界が悲しみで包まれている。
2026年08月05日 17:13
LLPW―Xのミスター女子プロレス神取忍が5日、11月2日にKanadevia Hall(旧 東京ドームシティホール)で40周年記念大会を開催することを発表した。
神取は柔道の世界選手権銅メダリストという肩書を引っ提げ、1986年8月17日、ジャパン女子プロレスの旗揚げ戦でデビュー。以降、ジャッキー佐藤さんや北斗晶らを相手に数々の伝説的な戦いを繰り広げ、トップ選手の地位を築いた。40年たった今も第一線でリングに上がり続けている。大会のサブタイトルには「〜40年の挑戦!折れない心で!伝統は未来へ!〜」が付けられている。
神取は「今年、プロレス人生40周年という大きな節目を迎えることができました。40年という時間は決して簡単な道のりではありませんでした。数え切れないほどの試練や怪我、苦しい時期もありましたが、そのたびにリングへ戻り、闘い続けてきました」と思いを語る。
「40周年記念大会は、これまで支えてくださったファンの皆様、スポンサーの皆様、関係者の皆様への感謝をお伝えする大会であると同時に、女子プロレスの未来へバトンをつなぐ大会にしたいと思っています。リングに上がる以上、40周年だからといって思い出を語るつもりはありません。年齢は、挑戦を諦める理由にはなりません。何歳になっても、自分を信じて一歩前へ踏み出してほしい。挑戦する気持ちさえあれば、人はいつからでも変われます。私自身が、その姿をリングで証明したいと思っています。11月2日、Kanadevia Hallで皆さんと新たな伝説を創り上げたいと思います」と意欲を語った。
注目の大会となりそうだ。