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2026年02月06日 07:10
紀藤氏が振り返る楽天移籍「なかなか勝てなかった」 2005年シーズン限りで紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は現役を引退した。プロ22年目、創設1年目の楽天でのプレーが最後になった。現役ラストイヤーは0勝5敗。「当時は楽天もメンバー的になかなか勝てなかったですからねぇ……」。開幕前の3月にインフルエンザにかかって出遅れたのも響いたという。「その後も帯状疱疹とか出て、これは無理だなって感じでした」と振り返った。 紀藤氏は2000年オフに広島から中日に移籍。すでに30代後半だったが、生まれ故郷の名古屋でも全力を尽くした。中日3年目の2003年には先発で7勝をマーク。しかし、落合博満監督体制となった2004年に出番は激減した。「新監督になって、いろんな構想もあるじゃないですか。そういう関係もあったと思います。もう39歳の年でしたし、生え抜きでもない年寄りでしたから」。 川崎憲次郎投手が開幕投手を務めた4月2日の広島戦(ナゴヤドーム)に4番手で投げて1イニングを無失点に抑えたが、2登板目の4月6日の巨人戦(ナゴヤドーム)では5番手で1回2失点に終わると2軍調整となった。「まぁ、そうなりますよね。若手にチャンスを与えるみたいなね」。5月14日に1軍復帰したが、1試合にリリーフで投げただけで5月30日に登録抹消。6月15日に再登録され、リリーフで8登板したが、7月19日にまた2軍行きとなった。 8月13日に登録されて、その日のヤクルト戦(神宮)にシーズン初先発し、4回1/3、5失点で敗戦投手。翌14日には抹消されて、以降は1軍に呼ばれず12登板、0勝1敗で終わった。この年の落合中日はリーグ優勝を成し遂げたが、紀藤氏はオフに無償トレードで新球団・楽天への移籍が決まった。「まぁ、長年プロ野球にいたら、だいたい分かりますよ。使われ方とか、待遇とかを見ればね」。 楽天の監督は田尾安志氏。紀藤氏は小学生時代、中日の選手だった田尾氏の指導を受け「将来、絶対プロになれるから頑張れ」と言われた。そこで自信も得て野球人生に弾みがついた。その“縁”が、プロ22年目で、またつながった。だが、結果は全て先発の8試合で0勝5敗。苦しいチーム事情のなか、勝ち星を手にすることができなかった。振り返れば、3月のオープン戦中にインフルエンザにかかって出遅れたのが響いたという。 「西武ドームでのオープン戦、今でも覚えています。(楽天捕手の)カツノリ(野村克則)がジャンパーを着て、寒い、寒いって言いながら話しかけてきて『それインフルエンザじゃないか』って言っていたらインフルエンザだった。で、自分もかかったんです。大変な目にあいました。40度以上の高熱が1週間くらい続いた。薬をのんでも効かないんですよ。やっと楽になったなぁと思って体温を測っても38度くらい。重症だった。よう死ななかったと思います」 もはや野球どころではなかった。「高熱が続いた1週間はご飯を食べれず、水しか飲めなかった。体調が戻らずに、体重もガタ落ちしました」。当然、開幕は2軍スタート。できるだけ早めの復帰を目指したが、それもうまくいかなかった。「その後、帯状疱疹とかも出るようになっちゃったんですよねぇ……。なんか体質も変わったような感じで、これはしんどいなぁって思いましたね」。楽天での1軍初登板は5月30日、セパ交流戦の阪神戦(フルスタ宮城)までずれ込んだ。 敗戦投手になったものの6回2失点。だが、納得できる内容ではなかったという。「(球速は)146(キロ)とか出ていたんですが、もう続かないんですよ。回復しないんです」。その後も先発で起用されたが、打線の援護にも恵まれず、調子も常に万全ではなく、苦しい投球が続いた。5登板目の6月26日の西武戦(長野)では2回1/3、4失点でKOされ、6月27日に登録を抹消された。 7月10日のロッテ戦(フルスタ宮城)に登録即先発し5回3失点。7月11日にまた抹消された。8月4日に1軍に戻り、その日のロッテ戦(千葉)に先発し4回2/3、4失点で4敗目、中6日で8月11日のオリックス戦(スカイマーク)に先発したが、2回1/3、6失点で5敗目を喫し、翌12日に抹消。そのままシーズンを終え、オフに戦力外となった。「自分から辞めるとは言っていませんが、もう分かっていました。もう終わりだなぁってね」。22年間の現役生活に区切り、右腕の礎となった「カープのしんどい練習」 投げたくても体がついていかなくなった。こればかりはどうしようもなかった。通算成績は78勝73敗16セーブ、1456回1/3を投げて、防御率4.07。「楽天で防御率が増えちゃったですね。まぁ、選手って勝ち星とかでよく評価されるかもしれないですけど、自分は若い頃、ずっと中継ぎ専門でやっていたんでね。でも勝ち星うんぬんじゃなく、よくここまで続けられたなと思います」と、紀藤氏はしみじみと語った。 「丈夫な体に産んでもらった親に感謝ですし、高校(中京高)もそうですし、カープでしんどい練習をしてきたおかげだと思います。なので、普通ならもう選手は無理かなという怪我をしても乗り越えてこれたのかなぁと思う。そりゃあ、もうちょっとこうすればよかったな、とかはありますよ。みんなそうでしょう。どんな成績を残した人でも満足して引退する人はいないと思う。やっぱり不満足で引退すると思いますけどね」 さらに笑いながら、こう話した。「今みたいに中継ぎの評価が給料に現れていたら、たぶん、もうちょっと自分のなかでは誇れたもんだと思うんですけどね。まぁ、そういう時代じゃなかったんでね。今の中継ぎで(1989年の61登板など)あれくらい投げていたら、すごい給料をもらっているでしょう」。 1983年ドラフト3位で中京高から広島に入団し、中日、楽天と3球団を渡り歩いた22年間。「広島で(現役を)終わっているのが正解だったのか、中日に行って、楽天に行ったのが正解だったのか。何か正解だったかは分かりませんけどね」と言いながらも、その間の多くの出会いに支えられての現役生活だった。怪我とも闘い、ボロボロになりかけながら、その都度、不屈の精神でよみがえり、リリーフでも先発でも結果を出した右腕として名を残したと言っていい。 紀藤氏は現役を終えた楽天に指導者として残った。「(2005年に)戦力外を言われてから何日かした後に球団から電話があったんです。“2軍のコーチをやらないか”って。さあ荷物を片付けようとしていた時だったんですけど、引っ越すのも面倒だったし『お願いします』と言いました」。2006年シーズンから楽天は野村克也監督体制。それがまた、大きな出会いとなった。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
2026年02月06日 10:33
「阪神春季キャンプ」(6日、宜野座)
阪神OB会長の掛布雅之氏(70)が第2クールの初日、陣中見舞いに訪れた。ベンチでは藤川球児監督と満面の笑みを浮かべて談笑するシーンがあった。
指揮官はベンチ前でレジェンドOBを前に帽子を取ってあいさつすると、そのまま両手を横に置いて談笑。掛布OB会長もニッコニコの満面笑みで声をかけていた。
アップ前には首脳陣、選手、スタッフが一同に整列。掛布OB会長は激励の言葉をかけ、陣中見舞いの封筒を選手に手渡した。その後はファンの歓声に手を振っていた。
2026年02月06日 10:05
「日本ハム春季キャンプ」(6日、名護)
二塁に挑戦する野村佑希内野手が、早出特守に取り組んだ。
新庄監督ら首脳陣に加えて球団幹部らも見守る中、午前8時40分頃から約20分間、ゴロを捕球して二塁へのトスとスローを繰り返した。大半の首脳陣らが引き揚げた後も、さらに30分強、ていねいに動きを確認するように汗を流した。
昨季は一塁と三塁、左翼を主に守った野村だが、新庄監督が4日に「セカンド挑戦させます」と二塁も守らせると宣言。キャンプとオープン戦期間で可能性を見極める方針を示し、野村も「僕にとってマイナスな部分はない。このチームは挑戦権は無料なので。ありがたく使わせてもらおうと」と意欲を口にしていた。
2026年02月06日 10:00
2日にフジテレビONEで放送された『プロ野球ニュース2026』に出演した坂口智隆氏と斎藤雅樹氏が巨人へFA移籍した松本剛について言及した。
坂口氏は「非常に大きい存在になると思って見ていますけどね」と分析する。「1番から5番ぐらいまでどの打順にもハマる選手だと思うので、まだ走れますし、昨年は打率というところで、バッティングの部分では本来の数字から程遠かったですけど、コツをおそらく知っている。そこの調整さえ上手くいけば、すぐに思いだせると思うんですよね」と自身の見解を述べた。
「ラインナップに入った時にどこでも打順にハマる選手は絶対にラインナップにいて助かる選手。こういう選手がかき回してくれればいいですし、彼もベテランの域に入っているので、そういう意味では移籍初年度ですけど、引っ張る存在になって欲しいなと思いますね」とエール。
巨人OBの斎藤氏は「実は松本くんは僕のリトルリーグの後輩なんです。川口リトルなんですね。陰ながら応援していたので、ジャイアンツに入ってきましたから、今年は思い切って応援しようかなと思っています」と話していた。
☆協力:フジテレビONE『プロ野球ニュース2026』
2026年02月06日 09:38
WBCの公式ロースターが6日、MLB公式HPで発表され、ドジャースの大谷翔平投手は指名打者での登録となった。
2026年02月06日 09:23
「阪神春季キャンプ」(6日、宜野座)
第1クール最終日となる4日を体調不良で欠席していた中野拓夢内野手が、笑顔で球場入りした。
この日は9時10分に、コーチらのタクシーで球場に到着。マスクはしておらず、笑顔も見せていた。個別練習する予定となっている。
2026年02月06日 09:00
2日にフジテレビONEで放送された『プロ野球ニュース2026』に出演した斎藤雅樹氏と坂口智隆氏が日本ハムの先発陣について言及した。
今オフ、パ・リーグ最多勝の有原航平をソフトバンクから獲得。伊藤大海とともに先発の軸として期待がかかる。両エースに、北山亘基、達孝太、山粼福也、加藤貴之、福島蓮など先発候補が多くいる。
斎藤氏は「優勝したチームから、最多勝とったピッチャーが抜けてきたんだから。去年の日本ハムとソフトバンクの争いが当然あったわけで、そこから抜いてきたわけですから、今年は日本ハムかな」と優勝候補に日本ハムを挙げた。
坂口氏も「強いですよ。頭数が元々良い若いピッチャーがたくさんいるんですよ。ファイターズは先発ピッチャーがすごいいるんですけど、そこに14勝したピッチャーが入ってくるので、ちょうど日本の野球にまたアジャストしてきて、いい感じに油が乗ってきたところに来ている。これは強いですよね。このメンツを見ても」と舌を巻いた。
☆協力:フジテレビONE『プロ野球ニュース2026』
2026年02月06日 08:15
◆ 1300万ドル差から希望額勝ち取る
現地時間5日、デトロイト・タイガースのタリク・スクバル投手(29)が球団との年俸調停で勝利し、今季年俸3200万ドルで合意したと米複数メディアが報じた。
スクバルはデビュー5年目の2024年に18勝4敗、防御率2.39、228奪三振という圧倒的な成績でア・リーグ投手3冠を獲得。今季も13勝6敗、リーグトップの防御率2.21、195回1/3を投げて241奪三振と活躍を収め、歴代12人目となる2年連続のサイ・ヤング賞受賞を成し遂げた。
昨季年俸1000万ドルだったスクバルは、球団の提示した年俸1900万ドルを退け、3200万ドルを希望。調停権を持つ選手として2024年のフアン・ソト(当時ヤンキース、3100万ドル)、2023年の大谷翔平(当時エンゼルス、3000万ドル)を上回り、史上最高年俸を勝ち取った。
2026年02月06日 08:00
「広島春季キャンプ」(5日、日南)
昨季まで広島2軍投手コーチを務めたデイリースポーツ評論家の横山竜士氏が、キャンプ第2クールに入った広島投手陣の今季起用法について持論を述べた。
2026年02月06日 08:00
「広島春季キャンプ」(5日、日南)
広島・新井貴浩監督(49)が5日、ドラフト2位・斉藤汰直投手(22)=亜大=と育成ドラフト1位・小林結太捕手(21)=城西大=に熱視線を送った。初々しくも、堂々としたルーキーの猛アピールを高評価。新戦力の台頭に期待を寄せた。
斉藤汰は今キャンプ2度目のブルペン入りで熱投。「100球以上投げる気持ちで入った」と気合十分の表情でマウンドに上がると、汗をにじませながら132球を投じた。捕手の後ろから投球を見つめた指揮官は「初日より全然良かった」と目を細め、「全部のボールに力があるなと感じた」と右腕のポテンシャルに太鼓判を押した。
小林はバットで強烈な存在感を放った。全体練習後の重点練習で2台のマシンを相手に1時間以上もフルスイングを貫き、計25本の柵越えをマーク。身長177センチと決して大柄ではないが「打撃が一番自信がある。練習では誰よりも本塁打を打ちたいので強く振っています」と左打席でのスイングは迫力十分。新井監督は「まだまだこれから」と前置きしつつ、「ボールを遠くに飛ばせるっていうのは、いいものを持っている」と非凡なパンチ力に期待を込めた。
次クールの10、11日には紅白戦を予定している。定位置争いを「横一線」とする指揮官。目の前で繰り広げられるアピール合戦を、厳しい目で見極めていく。
◇斉藤 汰直(さいとう・たいち)2003年12月7日生まれ、兵庫県出身。22歳。183センチ、90キロ。右投げ右打ち。武庫荘総合−亜大を経て、25年度ドラフト2位で広島入り。角度のある速球と切れのあるフォークボールやカットボールで三振を積み重ねる。
◇小林 結太(こばやし・ゆうた)2004年2月15日生まれ、岡山県出身。21歳。177センチ、82キロ。右投げ左打ち。関西−城西大を経て25年度育成ドラフト1位で広島入り。
2026年02月06日 08:00
「広島春季キャンプ」(5日、日南)
広島・新井貴浩監督(49)が5日、ドラフト2位・斉藤汰直投手(22)=亜大=と育成ドラフト1位・小林結太捕手(21)=城西大=に熱視線を送った。初々しくも、堂々としたルーキーの猛アピールを高評価。新戦力の台頭に期待を寄せた。次クールの10、11日には紅白戦を予定している。以下は、定位置争いを「横一線」とする指揮官の主な一問一答。
◇ ◇
−床田が直球にこだわった投球内容。
「いいんじゃない?やっぱり基本は真っすぐだからね。ブルペンでも変化球じゃなしに、真っすぐをずっと投げ続けるっていうのは一番しんどいし、体に負担がかかる。いいんじゃない?そういう取り組みを自分からやっているなら」
−床田に加えて大瀬良、森下もブルペン入り。他の投手陣にも活気が生まれる。
「そうだね。彼らも『投げます』っていうことで、他のピッチャーにもいい影響が出てるんじゃない」
−守備練習では勝田が三塁、平川が左翼に入った。
「いろいろ準備はしておこうよっていうことだよね。だって固定されてるところがないわけだから。『ここはこれ』っていうふうに決まってる選手っていないでしょ。小園にしても最初はショートかもしれないけど、(どうなるかは)分からない。レギュラーがいっぱい決まってるわけじゃないからね」
2026年02月06日 08:00
2日にフジテレビONEで放送された『プロ野球ニュース2026』に出演した斎藤雅樹氏が、広島・栗林良吏について言及した。
栗林は新人時代の21年から抑えを務め、プロ通算271試合は全てリリーフ登板で、通算セーブ数は134セーブを記録する。今季から先発に配置転換。
斎藤雅樹氏は「ずっとリリーフでやってきましたよね、先発というとまず球数をたくさん投げられないと先発はなかなかできないですね。最低5イニングは投げないと勝ち星はつかないですし、100球くらいは平気で投げられる、そこが本人がちゃんと取り組めていけるかどうかですよね。そこができれば、彼のまっすぐ、フォーク、変化球はいろいろありますから、それだけでなくて、いろんな力を抜いて投げることもできなきゃいけないですし、これから上手くやっていけば上手くやっていけると思いますね」と指摘した。
リリーフから先発に配置転換する難しさについて、斎藤氏は「球数をたくさん放れるかどうかというところですよね。投げるスタミナと言いますかね、そこが一番の問題かなと思いますね」と挙げていた。
☆協力:フジテレビONE『プロ野球ニュース2026』
2026年02月06日 07:40
ロッテが宮崎・都城で1軍春季キャンプ
最下位からの巻き返しに向け、熱の込もった春季キャンプを展開するロッテに5日、“大物”が合流した。
2026年02月06日 07:30
田中千晴投手は同僚たちから「たなちー」と呼ばれ「やりやすいですよ」
明るい笑顔が、何よりの証だった。「周りの人がすごく名前を呼んでくれるので、やりやすいですよ」。FA移籍した則本昂大投手の人的補償として巨人から楽天に加入した田中千晴投手は、「ちはる」だけでなく「たなちー」の愛称も定着しつつあり、新天地で順調な滑り出しを見せている。
春季キャンプ直前の1月23日、田中千の移籍が発表された。「自分、ジャイアンツだったら2軍スタートだったんです。今年から投手層もまた厚くなった中で、そこから1軍に上がってどう投げるかのビジョンを決めた状態だったので、電話がかかってきたときはちょっと戸惑いがありました。ただそういうものは時間が解決するとわかっているので。ビジョンが崩れてしまったことが少しショックでしたが、イーグルスに来ることは個人的にすごくチャンスだと思っていました」と率直な心境を打ち明ける。
当日の夜は山崎伊織投手らとお寿司を食べに行く予定だった。その手土産を選んでいた最中の通告電話。動揺も大きかったため、行くか行かないか迷ったそうだが足を運んだ。しかし「結局、報告とかニュースを見た人からの電話とかで、1貫食べて電話して、また1貫食べて電話して、という感じで……」と苦笑いだった。
1月下旬にはジャイアンツタウンで則本と対面。「すごく優しい方でしたね。『ごめんね』というのを一番おっしゃっていました。でも僕は『全然大丈夫です、チャンスだと思って行けるので』と。お互いプラスに捉えていけるようにというか、僕もプラスに捉えているので」と先輩の気遣いに感謝した。
プロ4年目になるが、楽天でのキャンプは初めて。第2クール初日となったこの日、チームとしての練習を終えると、午後は国学院大時代の同級生でもある江原雅裕投手とともに個人練習に励んだ。「イーグルスは自由度は高いですね、臨機応変というか。今日も午後から自分の好きな練習ができるのは、ジャイアンツではなかったですね。ジャイアンツ時代の充実とはまた違う、新しい充実という感じです」と“違い”も受け入れ、充実の日々を送る。
昨年は1軍出場なしに終わったが、中継ぎの一角として期待が懸かる25歳は「勝ちパターンで投げさせていただけたらと思っています。僕の武器はフォークなので、そこと真っ直ぐの強さを出して球速も出てくれば。怪我をせずやり切って、しっかり狙っていきたいなと思っています」。突然やってきたチャンスを、ものにするつもりだ。(町田利衣 / Rie Machida)
2026年02月06日 07:10
紀藤氏が振り返る楽天移籍「なかなか勝てなかった」
2005年シーズン限りで紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は現役を引退した。プロ22年目、創設1年目の楽天でのプレーが最後になった。現役ラストイヤーは0勝5敗。「当時は楽天もメンバー的になかなか勝てなかったですからねぇ……」。開幕前の3月にインフルエンザにかかって出遅れたのも響いたという。「その後も帯状疱疹とか出て、これは無理だなって感じでした」と振り返った。
紀藤氏は2000年オフに広島から中日に移籍。すでに30代後半だったが、生まれ故郷の名古屋でも全力を尽くした。中日3年目の2003年には先発で7勝をマーク。しかし、落合博満監督体制となった2004年に出番は激減した。「新監督になって、いろんな構想もあるじゃないですか。そういう関係もあったと思います。もう39歳の年でしたし、生え抜きでもない年寄りでしたから」。
川崎憲次郎投手が開幕投手を務めた4月2日の広島戦(ナゴヤドーム)に4番手で投げて1イニングを無失点に抑えたが、2登板目の4月6日の巨人戦(ナゴヤドーム)では5番手で1回2失点に終わると2軍調整となった。「まぁ、そうなりますよね。若手にチャンスを与えるみたいなね」。5月14日に1軍復帰したが、1試合にリリーフで投げただけで5月30日に登録抹消。6月15日に再登録され、リリーフで8登板したが、7月19日にまた2軍行きとなった。
8月13日に登録されて、その日のヤクルト戦(神宮)にシーズン初先発し、4回1/3、5失点で敗戦投手。翌14日には抹消されて、以降は1軍に呼ばれず12登板、0勝1敗で終わった。この年の落合中日はリーグ優勝を成し遂げたが、紀藤氏はオフに無償トレードで新球団・楽天への移籍が決まった。「まぁ、長年プロ野球にいたら、だいたい分かりますよ。使われ方とか、待遇とかを見ればね」。
楽天の監督は田尾安志氏。紀藤氏は小学生時代、中日の選手だった田尾氏の指導を受け「将来、絶対プロになれるから頑張れ」と言われた。そこで自信も得て野球人生に弾みがついた。その“縁”が、プロ22年目で、またつながった。だが、結果は全て先発の8試合で0勝5敗。苦しいチーム事情のなか、勝ち星を手にすることができなかった。振り返れば、3月のオープン戦中にインフルエンザにかかって出遅れたのが響いたという。
「西武ドームでのオープン戦、今でも覚えています。(楽天捕手の)カツノリ(野村克則)がジャンパーを着て、寒い、寒いって言いながら話しかけてきて『それインフルエンザじゃないか』って言っていたらインフルエンザだった。で、自分もかかったんです。大変な目にあいました。40度以上の高熱が1週間くらい続いた。薬をのんでも効かないんですよ。やっと楽になったなぁと思って体温を測っても38度くらい。重症だった。よう死ななかったと思います」
もはや野球どころではなかった。「高熱が続いた1週間はご飯を食べれず、水しか飲めなかった。体調が戻らずに、体重もガタ落ちしました」。当然、開幕は2軍スタート。できるだけ早めの復帰を目指したが、それもうまくいかなかった。「その後、帯状疱疹とかも出るようになっちゃったんですよねぇ……。なんか体質も変わったような感じで、これはしんどいなぁって思いましたね」。楽天での1軍初登板は5月30日、セパ交流戦の阪神戦(フルスタ宮城)までずれ込んだ。
敗戦投手になったものの6回2失点。だが、納得できる内容ではなかったという。「(球速は)146(キロ)とか出ていたんですが、もう続かないんですよ。回復しないんです」。その後も先発で起用されたが、打線の援護にも恵まれず、調子も常に万全ではなく、苦しい投球が続いた。5登板目の6月26日の西武戦(長野)では2回1/3、4失点でKOされ、6月27日に登録を抹消された。
7月10日のロッテ戦(フルスタ宮城)に登録即先発し5回3失点。7月11日にまた抹消された。8月4日に1軍に戻り、その日のロッテ戦(千葉)に先発し4回2/3、4失点で4敗目、中6日で8月11日のオリックス戦(スカイマーク)に先発したが、2回1/3、6失点で5敗目を喫し、翌12日に抹消。そのままシーズンを終え、オフに戦力外となった。「自分から辞めるとは言っていませんが、もう分かっていました。もう終わりだなぁってね」。22年間の現役生活に区切り、右腕の礎となった「カープのしんどい練習」
投げたくても体がついていかなくなった。こればかりはどうしようもなかった。通算成績は78勝73敗16セーブ、1456回1/3を投げて、防御率4.07。「楽天で防御率が増えちゃったですね。まぁ、選手って勝ち星とかでよく評価されるかもしれないですけど、自分は若い頃、ずっと中継ぎ専門でやっていたんでね。でも勝ち星うんぬんじゃなく、よくここまで続けられたなと思います」と、紀藤氏はしみじみと語った。
「丈夫な体に産んでもらった親に感謝ですし、高校(中京高)もそうですし、カープでしんどい練習をしてきたおかげだと思います。なので、普通ならもう選手は無理かなという怪我をしても乗り越えてこれたのかなぁと思う。そりゃあ、もうちょっとこうすればよかったな、とかはありますよ。みんなそうでしょう。どんな成績を残した人でも満足して引退する人はいないと思う。やっぱり不満足で引退すると思いますけどね」
さらに笑いながら、こう話した。「今みたいに中継ぎの評価が給料に現れていたら、たぶん、もうちょっと自分のなかでは誇れたもんだと思うんですけどね。まぁ、そういう時代じゃなかったんでね。今の中継ぎで(1989年の61登板など)あれくらい投げていたら、すごい給料をもらっているでしょう」。
1983年ドラフト3位で中京高から広島に入団し、中日、楽天と3球団を渡り歩いた22年間。「広島で(現役を)終わっているのが正解だったのか、中日に行って、楽天に行ったのが正解だったのか。何か正解だったかは分かりませんけどね」と言いながらも、その間の多くの出会いに支えられての現役生活だった。怪我とも闘い、ボロボロになりかけながら、その都度、不屈の精神でよみがえり、リリーフでも先発でも結果を出した右腕として名を残したと言っていい。
紀藤氏は現役を終えた楽天に指導者として残った。「(2005年に)戦力外を言われてから何日かした後に球団から電話があったんです。“2軍のコーチをやらないか”って。さあ荷物を片付けようとしていた時だったんですけど、引っ越すのも面倒だったし『お願いします』と言いました」。2006年シーズンから楽天は野村克也監督体制。それがまた、大きな出会いとなった。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
2026年02月06日 07:00
阪神の佐藤輝明内野手(26)が5日、侍ジャパンの一員として出場する3月の第6回WBCに向けて、合同インタビューに応じた。これまでアジアチャンピオンシップなどで代表経験があるが、まだ日の丸を背負って本塁打は記録していない。長打力に信頼を置く井端監督。果たして佐藤輝のポジションはどこが適切か、考察した。
◇ ◇
佐藤輝の選出理由について、井端監督は「今の日本の球界では間違いなく一番の飛距離を持つ選手」と長打力に期待を寄せた。打撃では大谷や鈴木らと主軸を任されてもおかしくない。一方で岡本や村上の起用次第で、ここぞの代打も考えられる。
そうなると、強みは内外野を守れること。指揮官も「プランの中では内野も外野も考えています」と明かしていた。阪神では三塁が定位置だが、昨季は右翼と左翼も守った。岡本や村上とポジションはかぶるが、複数のプランを組むこともできる。
本人も侍ジャパンでは打順や守備位置にこだわりはない。一塁守備についても「やれと言われたら、もちろんチャレンジしてみたいという思いはあります」と前向きだ。レギュラーになれなくても、攻守で万能侍として貢献できる。