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2026年07月16日 11:20
米国・AEWの「AEW DYNAMITE」(マサチューセッツ州ボストン)が15日(日本時間16日)に放送され、オカダ・カズチカ(38)とKONOSUKE TAKESHITA(竹下幸之介=31)の遺恨が再燃した。 この日はAEWインターナショナル王者のカイル・フレッチャーがコマンデルとの防衛戦に出陣。ブレーンバスターで3カウントを奪うと、なおも決着後のリング上で挑戦者の覆面を剥ごうとした。 するとここに前週の「DYNAMITE」でフレッチャーにインターナショナルベルトを奪われた竹下が登場する。強烈なエルボーを叩き込んでフレッチャーをダウンさせたのだが…この竹下を背後からオカダが襲撃。強烈なレインメーカーを叩き込んで竹下をグロッギー状態に追い込んだ。 ドン・キャリス・ファミリーで共闘するオカダとフレッチャーがインターナショナルのベルトを握り合った状態で視線をかわし緊張感が生まれると、ここにブロディ・キングとバンディードの「ブロディード」が現れる。バンディードのスワンダイブ式ミサイルキックで場外に追いやられた2人は、キングのトぺ・スイシーダを浴びてそのまま退場した。 怒り心頭のフレッチャーは次期PPV「AEW Redemption」(26日、カナダ・モントリオール)でバンディードとの防衛戦を行うことを宣言。その横でオカダは仏頂面を浮かべていたが、果たしてその胸中は――。
2026年07月18日 17:22
「女子プロレス・スターダム」(18日、東京・EBARA WAVEアリーナおおた)
フワちゃんが自身初の海外遠征前ラストマッチに臨んだ。元ハイスピード王者のAZM(あずみ)とシングルマッチで対戦し、ヌメロ・ウノ(変型腕十字固め)でギブアップ負け。これから約1カ月間、米国のリングに上がるが、「日本代表としてしっかり頑張ってきますので、よろしくお願いします。日本はしばらくお別れになりますが、また1カ月後に大きくなって帰ってきます」と誓った。
昨年12月29日にプロレス再デビューしてから約半年。フワちゃんは首都圏での大会を中心にリングに上がり、高い身体能力や明るいキャラクターで沸かせているが、念願だった海外遠征が決まり、今月8日には「今の現状で、フワちゃんであること以外に自分には武器がない」と課題を自己分析していた。
小学生時代のデビューからキャリア約13年を誇るAZMとの“壮行試合”では厳しい右腕殺しに苦しんだものの、打点の高いミサイルキックや滞空時間の長いブレーンバスターで反撃。ただ、師匠の葉月直伝のラ・マヒストラルは切り返されてしまい、最後はグラウンド技に屈した。
旅立ち直前のフワちゃんは「(本格的に)プロレスデビューしてから半年がたった中、自分にはプロレスの才能があると信じていながらも、何が武器なのかまだはっきりわかってない状況で、AZMさんという自分のファイトスタイル、自分の武器を明確に持っている方と戦えて、何かヒントをもらえた気がします。今から米国に行く上で、日本を代表して何を持って行けばいいんだろうという毎日ですが、AZMさんとの試合を経て何か一つ答えがわかったんじゃないかなと。そんな気持ちで飛行機に乗る準備をしてきます。パッキング、パッキング〜!」と、目には見えない手荷物をしまい込んだ。
2026年07月18日 17:09
新日本プロレス8月15日両国国技館大会で現役を引退する猛牛天山広吉(55)が18日、引退試合で小島聡(55)とシングルマッチで激突することを発表した。
天山はこの日、真夏の祭典「G1クライマックス」の国内初戦となる北海道・北海きたえーる大会にゲスト解説として来場。大会開始前にマイクを握ると引退試合に言及し「私にとって、タッグで組んだり、時にはシングルで戦った生涯のライバルである小島聡選手とシングルマッチをやりたいと思います。最後まで応援してくれて感謝しています。しっかり練習して最高の試合をできるようにしますので、最後まで応援よろしくお願いします」と、名タッグ「テンコジ」の盟友であり、時にはライバルとしても切磋琢磨した小島を指名した。
天山は新日本プロレス学校を経て91年1月にデビューし、93年3月にヤングライオン杯を優勝して海外武者修行へ。95年1月の凱旋帰国と同時にリングネームを本名の山本広吉から現在の天山広吉に変更した。
その後は蝶野正洋と共闘し狼軍団、nWoジャパンで活躍。IWGPヘビー級を4度戴冠し、真夏の祭典「G1クライマックス」では3度の優勝を誇り「夏男」と呼ばれた。また小島、永田裕志、中西学(引退)とともに「第三世代」と呼ばれ、一時代を築いた。
長年に渡る激闘の代償として、たび重なる負傷に苦しんだ。2009年8月には頸椎などの負傷によって約1年3か月の長期欠場。カムバックを果たしたものの、その後も首、腰、膝などの負傷が相次ぎ、近年は欠場期間が増えていた。
さらに昨年5月に受けた手術後の回復が思わしくなく、今年に入り現役続行は不可能と団体に申し出て引退が受理された。5月11日に行われた引退会見では「天山広吉と言えばあの男かな…行っちゃうぞかな…」と引退試合の相手に小島を示唆していた。
満身創痍の天山は会見で「エキシビションでも」とも発言していたこともあり、試合形式は5分1本勝負が濃厚だ。唯一無二の盟友にしてライバル・小島との最後の一騎打ちで、猛牛は約36年の偉大なキャリアに終止符を打つ。
2026年07月18日 16:58
ノア18日の大阪大会で、内藤哲也(44)が清宮海斗との初一騎打ちを制してGHCヘビー級王座への挑戦権を手にした。
同王座次期挑戦者決定戦に臨んだ2人は序盤、グラウンドの攻防で関節を狙い合う。さらに内藤が雪崩式フランケンシュタイナーを敢行すれば、清宮から閃光魔術弾、ランニングニーを返されるなど一進一退の攻防を展開した。
その後、内藤がマンハッタンドロップで相手の動きを止めると、エルボー、張り手を連打。ところがこれに狂乱の笑みを浮かべた清宮から猛攻を受けてピンチになる。
それでも内藤は巧みにスパインバスターで流れを断ち切ると、デスティーノをズバリ。粘る清宮から猛虎原爆固め、タイガーウイング(変型ドライバー)で投げられたがこれを返すと、最後はコリエンド式首固めで押さえ込んで3カウントを奪った。
試合後、リング中央のノアのロゴマークの上で寝そべって勝利をアピールした内藤は「素直にうれしいですよ。メチャクチャうれしい。自信になったし」と感想を口にする。その上で「俺の思うプロレスリング・ノアの先頭、ど真ん中に勝ってしまったんだ。この先、行くところは決まっているでしょう。GHCヘビー級王座だな。そこに照準を絞って、このプロレスリング・ノアで戦っていきますよ」と表情を引き締めた。
一方、完敗の清宮は「いや本当に、なんか上手くいかない。コンディションとかはいいんだけど、なんだろう。ちょっと時間ください」と肩を落とすのだった。
2026年07月18日 16:31
ノア18日の大阪大会で、Yoshiki Inamura(稲村愛輝=33)が野獣藤田和之とド迫力のぶつかり合いを制して遺恨を清算した。
2026年07月18日 16:20
東京女子プロレス18日の後楽園大会で、プリンセス・オブ・プリンセス王者の荒井優希(28)が、山下実優(31)の挑戦を退け、V4を達成した。
師弟対決は白熱の一戦となった。山下からの強烈なキックを何度も受けたが、荒井は抵抗されながらもボディースラムを決める。そして山下の左足を集中的に攻撃し、インディアンデスロックで足を固めてエルボーを打ち合った。
対する山下からは、雪崩式アティテュード・アジャストメント(AA)やハイキックをくらいダメージを負った。しかし荒井は、山下の回し蹴りをキャッチし、サソリ固めで反撃。これを脱出され、再びAAを狙われても、着地して変型ブレーンバスターをお見舞いした。最後はフルネルソンバスターからファイナリー(かかと落とし)で沈め、3カウントを奪った。
試合後、荒井は「今まで何度も戦ったけど、今までの山下さんとは全然違った。何回も危ない場面がありました」と振り返り「最後の力で、荒井が上回れたと思っています」と笑顔を見せた。また「トーナメントも始まるので、チャンピオンとして夏を精一杯戦っていきます!」とシングルトーナメント「東京プリンセスカップ」(20日、静岡・浜松で開幕)での活躍も誓った。
一方、敗れた山下は「あんまり言いたくないけど…。楽しかったよ」と荒井の実力を認めた。その上で「まだ、私はお前を倒しに行く」と再戦を誓っていた。
2026年07月18日 15:51
東京女子プロレス18日の後楽園大会で、プリンセスタッグ王者の「白昼夢」こと渡辺未詩(26)、辰巳リカ(34)組が、挑戦者「享楽共鳴」こと中島翔子、ハイパーミサヲ組を下し、V2を達成した。
ミサヲから「正々堂々戦う」と宣言され握手を交わしたが、どちらからともなく奇襲を仕掛け、場外乱闘へ発展。客席で打撃戦を行うと、両組は一度会場から姿を消した。すると、享楽共鳴は戦闘自転車のハイパミ号にまたがって、白昼夢はさすまたを持って再登場し、ぶつかりあった。さらに辰巳が、セコンドに就いていた桐生真弥を強引にハイパミ号へ乗せ、享楽共鳴へ投げ飛ばすなど会場は混乱に陥った。
リングに戻った渡辺は、ミサヲからスプレー攻撃、すかさず中島からセントーン・アトミコで立て続けに攻められた。しかし、渡辺は享楽共鳴をまとめてボディースラムで叩きつけ、辰巳がヒップドロップ、さらに2人まとめて足4の字固めで痛めつけた。
その後も一進一退の攻防が続いた。辰巳は、粘る挑戦者組・ミサヲからチキンウィング・フェースロックで締められた。ロープに逃げても中島から619で追撃されてしまう。しかし渡辺の援護で中島を場外へ落とし、トップロープからミサイルヒップをお見舞いした。最後は白昼夢ビリーバーでミサヲを沈め、3カウントを奪った。
試合後のリングでは、白昼夢が享楽共鳴に手を差し伸べ、握手を交わす場面も見られた。これについて渡辺は「心が通じあった感じはしたんですけど、すぐウネウネしちゃうので…」と苦笑い。辰巳も「公式ライバルなので」と再戦を望んでいた。
2026年07月18日 15:39
女子プロレス「スターダム」18日の大田区大会で、海外遠征前最後の試合に臨んだフワちゃんがAZMに敗北した。
フワちゃんは夏の祭典「5★STAR GP」には参加せず、米国を中心とした海外遠征が決まっている。この日は出発前最後の一騎打ちで先輩の胸を借りることとなった。
フワちゃんは序盤からAZMの多彩な攻めに翻弄されるがコーナーからミサイルキックを放つなど善戦。しかし顔面に何度もキックをもらいダメージを与えられた。
一進一退の攻防の最後は互いが互いの技を返す丸め込み合いに発展。抜け出したAZMからヌメロ・ウノで捕らえられ、ギブアップ負けを喫した。
試合後はAZMと固い握手。バックステージでは「プロレスラーデビューしてから半年。絶対にプロレスラーとしての才能はあると信じていながらも何が武器なのかまだはっきりわかっていない」と現状を顧みつつ「AZMさんという自分のファイトスタイルが明確にしっかりある方、自分の武器っていうものが誰が見てもわかる方、そういうAZMさんと戦えて何かヒントをもらえた気がします」と笑顔。「日本代表としてしっかり頑張ってきます。日本はしばらくお別れです。また1か月後、大きくなって帰ってきます!」とファンにメッセージを送り、引き上げた。
2026年07月18日 15:13
東京女子プロレス18日の後楽園大会で、インターナショナル・プリンセス王者の鈴芽(27)が、上原わかな(30)の挑戦を退け、V4を達成した。
2026年07月18日 11:29
“プロレス界のレジェンド”藤波辰爾が17日、新宿区の京王プラザホテルで「デビュー55周年記念パーティー」を開催した。
1970年6月、16歳で日本プロレスに入門。71年5月9日に岐阜市民センターでの魁勝司(北沢幹之)戦でデビューした。以降、師匠のアントニオ猪木さんに付いて猪木さんが設立した新日本プロレスに移籍。72年3月6日に大田区体育館での旗揚げ戦の第1試合に出場した。
78年1月23日にニューヨークのMSGでWWWFジュニアヘビー級王座を獲得しジュニアを開拓。空前の「ドラゴンブーム」を沸き起こし、ヘビー級転向後はWWFインターナショナルヘビー級王座を獲得し、長州力との「名勝負数え唄」で日本人同士による抗争を展開した。
88年5月に第2代IWGPヘビー級王座を奪取し88年8月8日に横浜文化体育館で猪木さんと伝説の60分フルタイムをプロレス史に刻み込んだ。
95年10月には自主興行「無我」を旗揚げ。99年6月からは5年間に渡り新日本プロレスの代表取締役社長を務めた。06年6月30日付で新日本を退団し、同年8月に「無我ワールド・プロレスリング」を旗揚げ。08年1月から団体名を「ドラディション」へと変更。2015年にはWWE殿堂入りを果たし72歳の現在もメインイベンターとしてリングに立ち続けている。
昭和の新日本プロレスでは幾度も記者会見し、外国人選手の定宿で81年12月に伽織夫人との結婚披露宴を開くなど思い出深い京王プラザホテルの記念パーティー。壇上であいさつした藤波は「プロレスが好きで猪木さんが好きで」とレスラー人生の原点を明かし、ファン、関係者への感謝をささげた。さらに現役生活を続けることを約束し2024年11月に小倉城で実現した「お城プロレス」の全国展開を掲げた。
パーティーで家族を代表して長男のLEONAが来場者へ御礼のあいさつを行った。その中で昨年7月にこれまで母の伽織さんが1986年9月の創業から社長を務めていた「ドラディション」、食品ブランド「藤波家の食卓」を運営する「シーホースコーポレーション」の社長となったことを明かした。
LEONAは「ここまで父と母が会社と団体を切り盛りしてきてましたが、いろいろな苦労はあったかと思いますが、ここからは僕の方で頑張ってこの団体が盛り上がるように頑張っていきたいと思います」と誓った。その上で「父には好きなプロレスだけを見て楽しいプロレス人生を送っていただきたいと思っております。まだまだ若輩者ではございますが引き続きご指導ご鞭撻をお願いします」と来場者へ一礼した。
デビューして12年。「プロレスラーとして藤波辰爾の前に立ちたいと願ってプロレスラーになりました」と打ち明け、父と「まだ対角線に立ったことは一度もありません。一プロレスラーという立場で考えた時に、LEONAと藤波辰爾の間には大きな壁がまだまだあると感じています。みなさまにしっかりとご納得いただいて、期待していただけるタイミングでしかるべき時に父の前に立って対戦相手となって試合をすることができればと考えております。その日に向かって自分自身も精いっぱい努力してまいります」と誓うと、大きな拍手に包まれていた。
パーティー終了後の囲み取材で藤波はLEONAの思いを受け「自分が受けて立つということでコンディションを整えないといけない。スイッチが入りました」と対戦する時を心待ちにしていた。
2026年07月18日 10:19
全日本プロレスは18日までに7・19後楽園ホール大会の前売り券が全席完売したことを発表した。
メインイベントで世界タッグ王者組の「斉藤ブラザーズ」斉藤ジュン、斉藤レイが真霜拳號、関本大介と初防衛戦を行う同大会は、座席指定券が売り切れとなり、今月4日から立見券を東側バルコニー、南側後方通路で共に4000円で発売し、すべて完売した。
全席完売で全日本プロレスは公式Webなどで「7月19日(日)後楽園大会の前売券は完売致しました。
当日券の販売はございません」と発表した。
◆7・19後楽園ホール全対戦カード
▼世界タッグ選手権試合 60分1本勝負
王者組・斉藤ジュン、斉藤レイ VS 挑戦者組・真霜拳號、関本大介
▼アジアタッグ選手権試合 60分1本勝負
王者組・青柳亮生、ライジングHAYATO VS 挑戦者組・安齊勇馬、小藤将太
▼三冠ヘビー級選手権試合前哨戦 タッグマッチ 30分1本勝負
宮原健斗、羆嵐 VS 綾部蓮、本田竜輝
▼タッグマッチ 30分1本勝負
諏訪魔、鈴木秀樹 VS 潮粼豪、青胗優馬
▼世界ジュニアヘビー級選手権試合前哨戦 8人タッグマッチ 30分1本勝負
田村男児、大森北斗、立花誠吾、レオン・デ・オロ VS ”ミスター斉藤”土井成樹、MUSASHI、吉岡世起、青木優也
▼シングルマッチ 20分1本勝負
芦野祥太郎 VS 矢野安崇
2026年07月18日 10:00
新潟プロレスを設立したシマ重野が変身して誕生したマスクマン、ワン☆キュウシュウ。TAJIRIが最初に口にしたのは「誰とでも仲良くなれる人ですね。壁がどこにもないですね」という言葉だった。技術や試合の話ではなく、人との距離の近さが最初に出てきた。
もっとも、ワン☆キュウシュウというキャラクターは、最初から今のような姿だったわけではないようだ。シマ重野自身、マスクマンとしてリングに立つのは初めての経験だったといい、「最初はマスクマンをやったことがなかったんで戸惑いもあったんだろうけど、最近なんかこう、馴染んできましたね」という言葉からも、新しいマスク、新しい名前、新しいキャラクターと向き合ってきた時間がうかがえる。
さらに「最初はワン☆キュウシュウってレスラーがどんなレスラーか、自分でも分からなかったし、誰も分からなかったと思うので、すごく大変だったと思うんですよ」とも振り返った。マスクをかぶれば、それだけで別のレスラーになれるわけではない。リングの上でどんな動きを見せ、どんな試合をするのか。そんな時間もあったのかもしれない。
そんな中で、TAJIRIの口から出てきたのが「昔のアメリカの飛べるヘビー級みたいな試合をつかんできた感じですね」という独特な表現だった。説明や分析というよりも、試合を見ていて自然に浮かんだイメージに近かったのかもしれない。
そして最後には「まだ多分、手探りな感じは抜けてないと思うんですけど、はたから見てるとだいぶものになってきてる。馴染んできてるなって感じがしますね」という言葉も続いた。TAJIRIの目には、そんなふうに映っているようだ。
2026年07月18日 09:23
“プロレス界のレジェンド”藤波辰爾が17日、新宿区の京王プラザホテルで「デビュー55周年記念パーティー」を開催した。
2026年07月18日 09:05
“プロレス界のレジェンド”藤波辰爾が17日、新宿区の京王プラザホテルで「デビュー55周年記念パーティー」を開催した。
1970年6月、16歳で日本プロレスに入門。71年5月9日に岐阜市民センターでの魁勝司(北沢幹之)戦でデビューした。以降、師匠のアントニオ猪木さんに付いて猪木さんが設立した新日本プロレスに移籍。72年3月6日に大田区体育館での旗揚げ戦の第1試合に出場した。
78年1月23日にニューヨークのMSGでWWWFジュニアヘビー級王座を獲得しジュニアを開拓。空前の「ドラゴンブーム」を沸き起こし、ヘビー級転向後はWWFインターナショナルヘビー級王座を獲得し、長州力との「名勝負数え唄」で日本人同士による抗争を展開した。
88年5月に第2代IWGPヘビー級王座を奪取し88年8月8日に横浜文化体育館で猪木さんと伝説の60分フルタイムをプロレス史に刻み込んだ。
95年10月には自主興行「無我」を旗揚げ。99年6月からは5年間に渡り新日本プロレスの代表取締役社長を務めた。06年6月30日付で新日本を退団し、同年8月に「無我ワールド・プロレスリング」を旗揚げ。08年1月から団体名を「ドラディション」へと変更。2015年にはWWE殿堂入りを果たし72歳の現在もメインイベンターとしてリングに立ち続けている。
昭和の新日本プロレスでは幾度も記者会見し、外国人選手の定宿で81年12月に伽織夫人との結婚披露宴を開くなど思い出深い京王プラザホテルの記念パーティー。壇上であいさつした藤波は「プロレスが好きで猪木さんが好きで」とレスラー人生の原点を明かし、ファン、関係者への感謝をささげた。さらに現役生活を続けることを約束し2024年11月に小倉城で実現した「お城プロレス」の全国展開を掲げた。
パーティーには永遠のライバルで2019年6月に2度目の引退試合を行った長州力(74)、後輩の武藤敬司(63)、蝶野正洋(62)が出席した。
壇上で武藤は「55周年おめでとうございます」と祝福し「藤波さんより一回り若い自分ですが体がガタガタで3年前に引退しました。それが55年…すごいこと、神がかっているんじゃねぇかなって思います」と感嘆し「現役のレスラー、藤波さんの背中を常に見ていると思います。これからもプロレス界の象徴としてがんばってください」と願っていた。
2026年07月18日 09:01
“プロレス界のレジェンド”藤波辰爾が17日、新宿区の京王プラザホテルで「デビュー55周年記念パーティー」を開催した。
1970年6月、16歳で日本プロレスに入門。71年5月9日に岐阜市民センターでの魁勝司(北沢幹之)戦でデビューした。以降、師匠のアントニオ猪木さんに付いて猪木さんが設立した新日本プロレスに移籍。72年3月6日に大田区体育館での旗揚げ戦の第1試合に出場した。
78年1月23日にニューヨークのMSGでWWWFジュニアヘビー級王座を獲得しジュニアを開拓。空前の「ドラゴンブーム」を沸き起こし、ヘビー級転向後はWWFインターナショナルヘビー級王座を獲得し、長州力との「名勝負数え唄」で日本人同士による抗争を展開した。
88年5月に第2代IWGPヘビー級王座を奪取し88年8月8日に横浜文化体育館で猪木さんと伝説の60分フルタイムをプロレス史に刻み込んだ。
95年10月には自主興行「無我」を旗揚げ。99年6月からは5年間に渡り新日本プロレスの代表取締役社長を務めた。06年6月30日付で新日本を退団し、同年8月に「無我ワールド・プロレスリング」を旗揚げ。08年1月から団体名を「ドラディション」へと変更。2015年にはWWE殿堂入りを果たし72歳の現在もメインイベンターとしてリングに立ち続けている。
昭和の新日本プロレスでは幾度も記者会見し、外国人選手の定宿で81年12月に伽織夫人との結婚披露宴を開くなど思い出深い京王プラザホテルの記念パーティー。壇上であいさつした藤波は「プロレスが好きで猪木さんが好きで」とレスラー人生の原点を明かし、ファン、関係者への感謝をささげた。さらに現役生活を続けることを約束し2024年11月に小倉城で実現した「お城プロレス」の全国展開を掲げた。
パーティーには永遠のライバルで2019年6月に2度目の引退試合を行った長州力(74)、後輩の武藤敬司(63)、蝶野正洋(62)が出席した。
壇上で蝶野は「デビュー55周年おめでとうございます」と祝福し、マルティナ夫人との結婚披露宴で「藤波さんには奥様も一緒に京王プラザで仲人をしていただき、無事、私たちも続いています」と感謝した。
さらに自身の新日本プロレス入門は「藤波さん長州さんの試合を見てプロレスを希望した…きっかけでした」と振り返り「戦いながら現役を続けているのは我々後輩、今現役でやっている選手たちも見本、目標になっていると思いますんで、これからもますます大きな企画を立てて。お城プロレスですか?皇居と言いませんけど、大阪城とか名古屋城でやってください」と提案し、会場を沸かせていた。
2026年07月18日 08:46
“プロレス界のレジェンド”藤波辰爾が17日、新宿区の京王プラザホテルで「デビュー55周年記念パーティー」を開催した。
1970年6月、16歳で日本プロレスに入門。71年5月9日に岐阜市民センターでの魁勝司(北沢幹之)戦でデビューした。以降、師匠のアントニオ猪木さんに付いて猪木さんが設立した新日本プロレスに移籍。72年3月6日に大田区体育館での旗揚げ戦の第1試合に出場した。
78年1月23日にニューヨークのMSGでWWWFジュニアヘビー級王座を獲得しジュニアを開拓。空前の「ドラゴンブーム」を沸き起こし、ヘビー級転向後はWWFインターナショナルヘビー級王座を獲得し、長州力との「名勝負数え唄」で日本人同士による抗争を展開した。
88年5月に第2代IWGPヘビー級王座を奪取し88年8月8日に横浜文化体育館で猪木さんと伝説の60分フルタイム名勝負をプロレス史に刻み込んだ。
95年10月には自主興行「無我」を旗揚げ。99年6月からは5年間に渡り新日本プロレスの代表取締役社長を務めた。06年6月30日付で新日本を退団し、同年8月に「無我ワールド・プロレスリング」を旗揚げ。08年1月から団体名を「ドラディション」へと変更。2015年にはWWE殿堂入りを果たし72歳の現在もメインイベンターとしてリングに立ち続けている。
昭和の新日本プロレスでは幾度も記者会見し、外国人選手の定宿で81年12月に伽織夫人との結婚披露宴を開くなど思い出深い京王プラザホテルの記念パーティー。多数の関係者、友人が参列した宴の壇上であいさつした藤波は「プロレスが好きで猪木さんが好きで」とレスラー人生の原点を明かし、ファン、関係者への感謝をささげた。さらに現役生活を続けることを約束し2024年11月に小倉城で実現した「お城プロレス」の全国展開を掲げた。
パーティーには永遠のライバルで2019年6月に2度目の引退試合を行った長州力(74)、後輩の武藤敬司(63)、蝶野正洋(62)が出席。壇上で4人がトークし、藤波は長州に両手で人さし指を上に掲げ「1対1」での対戦をアピールした。
パーティー後の囲み取材で長州へのアピールの真意を聞かれた藤波は「今日は長州もあんまり言葉多くなかったけど」としたが「ボクが最後、別れ際に“分かっているね?”と言ったら、彼…なんか…それらしきアレを答えてくれたから。ボクが呼び掛けたら彼は準備するでしょうね」と現役復帰へ引っ張り出すことに意欲をあらわにした。
さらに「選手ってデビューするまで苦労する分を大事にしないといけない。潔すぎる」と持論を展開。長州は、引退から7年を経て、すっかり温和なイメージになっていることを問われ藤波は「すぐ戻る。すぐキレる。何かけしかけたらリング上がる。準備する。色、真っ黒で体パンパンに張っているしね」と復帰を確信し「彼が出て来たことによってジュニアからヘビーに上がれたしね。ライバルに恵まれました。長くやってこれた証しでしょうね。感謝です」とライバルへの思いを打ち明けていた。