2024年03月29日 21:34
「ロッテ1−4日本ハム」(29日、ZOZOマリンスタジアム) ロッテは無得点で開幕戦を黒星とした。 開幕投手の小島は、5回を5安打3失点。二回までは3奪三振で無失点に抑えていたが、0−0の三回には安打、四球、野選が絡んで2失点。0−2の五回にも1死二塁から松本剛に左中間へ適時三塁打を浴びた。 打線は初回、先頭の藤岡が中前打で出塁するも、後続は日本ハム先発・伊藤を前に貧打にあえいだ。0−3の五回には、2死満塁の好機でソトに打席を回したが、二ゴロ。無得点に終わった。
2024年05月14日 06:45
敵地・ジャイアンツ戦に「2番・指名打者」で出場
■ジャイアンツ ー ドジャース(日本時間14日・サンフランシスコ)
ドジャース・大谷翔平投手は13日(日本時間14日、10:45分開始)、敵地・ジャイアンツ戦に「2番・指名打者」で出場する。前日12日(同13日)の敵地・パドレス戦は腰の張りで欠場していたが、2試合ぶり復帰となった。また、山本由伸投手が先発登板する。
大谷は11日(同12日)の敵地・パドレス戦前に腰に張りを感じたという。同日は「2番・指名打者」で出場していたが、無安打で迎えた9回の第5打席で代打を送られ途中交代。翌12日(同13日)は欠場していた。
デーブ・ロバーツ監督が13日(同14日)のジャイアンツ戦での復帰を示唆していた。この日、無事にラインナップに名を連ねた。
また、山本は前回登板のマーリンズ戦で自己最長8回を投げ5安打2失点。自身4連勝、本拠地初勝利を挙げた。ここまで4勝1敗、防御率2.79。対するジャイアンツは剛腕ジョーダン・ヒックス投手が先発登板する。(Full-Count編集部)
2024年05月14日 06:45
オリックスのアンダーソン・エスピノーザ、ヤクルトのミゲル・ヤフーレと新助っ人2人が揃って開幕3連勝を記録し、注目を集めている。
だが、過去には、開幕直後に活躍し、「これは期待できそうだ」とファンを喜ばせたにもかかわらず、その後は尻すぼみだったり、突然帰国してしまった助っ人も少なくない。
NPB史上初の開幕戦の来日初打席で満塁弾をかっ飛ばしたケビン・ミッチェル(ダイエー)や“神のお告げ”で電撃引退したマイク・グリーンウェル(阪神)が有名だが、ほかにも「ああ、そんな選手もいたなあ」とちょっぴり懐かしくなる助っ人たちを振り返ってみよう。
◆ “メッセンジャー2世”にはなれず
開幕から2連勝を記録しながら、以後、1勝もできずに終わったのが、2017年にDeNA入りした201センチの右腕、フィル・クラインだ。
メジャー通算40試合で2勝3敗も、前年3Aで5勝1敗、防御率1.52と好投したことが買われ、巨人にFA移籍した山口俊の穴を埋める先発要員として、推定年俸1億5000万円で入団が決まる。
春季キャンプ中の2月18日の練習試合、中日戦で5回から来日初登板したクラインは、長身からの角度のあるスリークォーターから150キロを超える速球と切れのある変化球を武器に3者連続三振で即戦力をアピール。
アレックス・ラミレス監督も「(198センチの)ランディ・メッセンジャー(阪神)に似ている。二桁は必ず勝つ。(この時期に)そう思ったのは初めて。体が大きくて(球は)新幹線が来る感じ。自分が打者でも苦戦する」とベタ褒めだった。
そして、シーズン開幕後、4月1日のヤクルト戦で先発したクラインは5回を4安打1失点に抑え、来日初勝利。さらに同16日のヤクルト戦でも4回に自ら逆転2点タイムリーを放ち、投打にわたる活躍で開幕2連勝。休暇で来日していたリンリー夫人の美貌も話題を呼んだ。
だが、登板7試合で25与四死球という制球の悪さから、5月27日の阪神戦で6失点するなど、3連敗して6月3日に2軍落ち。さらに右肘痛を訴え、8月7日、治療のため帰国したが、チームが日本シリーズに進出しても復帰することなく、自由契約に。“メッセンジャー2世”にはなれなかった。
油絵が趣味の助っ人として人気者になったのが、2009年にロッテ入りした内野手のゲイリー・バーナム・ジュニアだ。
メジャー経験はないが、前年台湾のLa Newでプレーし、70試合で打率.323、10本塁打、56打点を記録。シーズン当初からロッテのボビー・バレンタイン監督にメールを送り、「日本でプレーしたい」と売り込んだ熱意が実り、秋季キャンプでの入団テストを経て、年俸1300万円で契約をかち取った。
1月末の来日時には採用のお礼を兼ねて、鉛筆で約15時間かけて描いた同監督の肖像画を持参。父親が農業を営む傍ら、画家として活動し、個展も開いていたという“血筋”から、肖像画も趣味の域を超えた出来栄えだった。この野球以外の才能もファンサービスに用いられ、「バーナム画伯の似顔絵講座」なるイベントも開催された。
そして、シーズンが開幕すると、左打ちのバーナム・ジュニアは相手が右投手のときに2番、7番、8番でスタメン出場。4月29日のオリックス戦で金子千尋から1号3ランを放つなど、4月終了時に打率.421をマークし、お買い得ぶりをアピールした。
だが、5月はわずか4安打と急降下し、6月には2軍落ちも経験。1軍復帰後の7月17日のソフトバンク戦で1ヵ月半ぶりの決勝号3号2ランを放ち、チームの連敗を「7」で止めたものの、開幕直後の好調を取り戻せないまま、打率.218、4本塁打、22打点でシーズン終了。34歳という年齢もあって、1年で戦力外になった。
だが、打率はともかく、四死球の多さから、出塁率.348をマーク。億単位の年俸を貰いながら、期待を裏切った助っ人もいることを考えると、1軍最低年俸(当時は1430万円)にも満たない条件で、よくやったと言えるかもしれない。
◆ 阪神の助っ人“ワースト記録”を更新
オープン戦で満塁本塁打を打ち、開幕直後も長打を連発したにもかかわらず、最終的に球団の助っ人のワースト記録を更新してしまったのが、2013年に推定年俸7000万円で阪神入りした両打ちの内野手、ブルックス・コンラッドだ。
前年限りで退団したクレイグ・ブラゼルの後釜と期待されたコンラッドは、2月23日のオープン戦、日本ハム戦でライト・大谷翔平の頭上を越えるチーム1号のアーチを放ち、「(スイッチは)右打席のほうが飛距離が出るけど、左でもあそこまで飛ばせる力がある」と和田豊監督を喜ばせた。さらに3月15日のDeNA戦でも満塁本塁打を放つなど、オープン戦で3本塁打、12打点を記録した。
そして、ヤクルトとの開幕3連戦でも、コンラッドは二塁打3本を含む11打数4安打を記録したが、その後、球団の1年目の外国人選手では、1972年のレオン・マックファーデンを更新する58打席連続無打点を記録し、4月22日に早くも2軍落ち。交流戦が始まった5月19日に1軍復帰も、7打数1安打5三振とまったく結果を出せず、5月30日に再び登録抹消されると、そのまま出場わずか24試合、打率.175、0本塁打の69打席連続無打点で退団となった。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
2024年05月14日 06:30
たった1球で勝利投手になる者もいれば、長いイニングを好投しながら、不運にも勝利を逃した投手もいる。ほぼ手中にしたはずの白星がスルリと逃げて行った悲運の投手たちを紹介する。
8点リードを貰い、勝利投手を確信してマウンドを降りたのに、まさかの大逆転負けに泣いたのが、日本ハム時代の高梨裕稔(現ヤクルト)だ。
2018年4月18日の西武戦、先発・高梨は“山賊打線”を7回まで3安打7奪三振の無失点。味方打線も5‐0の8回表に決定的に思える3点追加し、誰もが「勝負あった」と信じて疑わなかった。
ところが、高梨からバトンを引き継いだリリーフ陣がピリッとしない。2番手・上原健太はいきなり連続安打を浴び、一死を取っただけで降板。3番手・田中豊樹も四球で満塁とピンチを広げたあと、連続押し出し四球で2点を失った。
さらに4番手、マイケル・トンキンも、外崎修汰に左越え二塁打、栗山巧に中前2点タイムリーを許したあと、二ゴロの間にもう1点。1点差に追い上げられてしまう。
宮西尚生を投入し、何とかスリーアウトまで漕ぎつけた日本ハムだったが、こうなれば、断然西武ペース。9回にこの日まで4セーブを挙げていた6番手・石川直也が連打と四球で無死満塁のピンチを招くと、森友哉が前進守備の右中間を破る逆転サヨナラ2点二塁打。8点リードを守り切れず、まさかの大逆転負けを喫した。
高梨は「最後まで投げなければいけなかった」と7回まで121球を要し、完投できなかったことを反省。栗山英樹監督も「本当に申し訳ないことをした。オレの責任なんで。ごめんなさい」と平謝りだった。
◆ 1イニング10失点という“悪夢”
せっかくの好投が、中継ぎ陣の大乱調でフイになったのが、楽天・戸村健次だ。
2015年9月28日のオリックス戦、先発・戸村は7回まで三塁を踏ませず、散発4安打無失点。味方打線も初回にいきなり先頭から4連打で2点を先制すると、5回に福田将儀の左越えタイムリー二塁打、8回にも二死から3連打で1点を加え、4‐0。試合を決めたかに思われた。
ところが、その裏、好投の戸村に代えて、“勝利の方程式”の一角を担うライナー・クルーズをリリーフに送ったことが裏目に出る。
先頭の岩崎恭平にいきなり四球を与えると、一死から糸井嘉男、T‐岡田にも連続四球で満塁としたあと、小谷野栄一に左中間を破られ、2点を失った。
制球に苦しむクルーズは、中島裕之にも四球を献上。ここで、見るに見かねた大久保博元監督がリリーフエース・福山博之を投入したが、その福山も一死満塁から2者連続押し出しで、あっという間に4‐4の同点。4番手・武藤好貴も伊藤光に左前2点決勝タイムリーを浴びたあと、2安打と犠飛で4‐8とリードを広げられた。
そして、5番手・西宮悠介もT‐岡田にとどめの右越え2点タイムリー二塁打を打たれ、1イニング10失点という悪夢に……。
まさかの大逆転負けでシーズン80敗目を喫した大久保監督は「クルーズは前半戦で無理させたことで、疲れが出ている。使っている以上は僕が悪い」と反省の言葉を口にしたが、勝ちパターンからの大暗転劇にファンの怒りもMAXに。ネット上でも「最低最悪の試合。監督は戸村さんと野手陣に謝罪してください」「戸村に恨みでもあるのか」などの声が相次いだ。
◆ “勝ち運”に恵まれずプロで未勝利
プロ初勝利まであと1人の5回二死まで無失点に抑えながら、非情の交代劇を味わったのが、西武・白鳥浩徳だ。
東北高時代の1984年夏、背番号1を着けて甲子園に出場したが、実質エースは背番号10の2年生・佐々木主浩。甲子園では1度も投げることなく終わった。
社会人の住友金属鹿島に入社後、25歳を過ぎてから球速が増し、93年の都市対抗で自己最高の145キロをマークしてから、“遅咲き右腕”として注目を集めるようになった。
そして、27歳にして西武から5位指名を受けたが、ドラフト直前に指名挨拶の電話を貰ったときは「最初は嘘だと思った」ほど。
だが、西武は91年のドラフトでも27歳の新谷博を2位指名しており、森祇晶監督も「年齢で野球をやるんじゃない。新谷を見てみろよ」と即戦力として期待した。
翌94年6月14日のロッテ戦でプロ初先発。実はロッテの先発が伊良部秀輝だったことから、「今日は捨て試合」(森監督)と抜擢されたもので、当初は3回までのショートスターターの予定だった。
ところが、簡単に点を取れないと思われた伊良部から2点を先取したばかりでなく、白鳥も味方の好守やヒット性の当たりが野手の正面をつくなど、幸運が続き、5回二死まで得点を許さない。
だが、この回に二死満塁のピンチを招くと、「リードを守る以外に勝機はない。相手は伊良部だからな」と、杉山賢人に交代を告げられた。
「これまで失点がなかったから、まあ、自分の仕事をしたなと思います」と納得してマウンドを降りた白鳥だったが、皮肉なことに、その後、継投失敗で2‐3と逆転負け。その後も勝ち運に恵まれず、プロ未勝利のまま、97年限りで退団した。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
2024年05月14日 06:15
ソフトバンク・今宮健太が史上4人目の通算400犠打まであと20に迫った(5月13日現在)。
2024年05月14日 06:00
元広島、近鉄の投手で変則左腕として活躍した清川栄治氏が5月5日、悪性腫瘍のため死去した。62歳だった。広島時代、投手コーチとして同氏を指導したデイリースポーツ評論家の安仁屋宗八氏は「彼は人間的に最高で選手のいいお手本だった」と手塩にかけた秘蔵っ子の早すぎる死を悼んだ。438試合連続救援登板は引退した1998年当時のNPB記録。
◇ ◇
体調がよくないと聞いて去年、連絡を取ったことがあったんですよ。でも、こんなに早く亡くなるとは…本当に残念で仕方がない。
清川という選手は非常に素直で、練習も真面目にコツコツやるタイプだった。特に上手投げからスリークオーター(肘の位置は徐々に下がっていった)に変えたときは必死になって取り組んでいた。
(1984年の)入団当初、球にキレはあっても制球力に欠けていたので、しばらくしてから私と同じような腕を下げた投法を勧めのだが、最初は気が乗らない感じだった。元来は左の本格派。腕を下げることに対し、故障の不安を含めて抵抗があったようだ。
しかし器用でもあり、決断してからは自分のものにするのが早かった。キャンプでは私も腕の位置を捕手の後ろから1球ごとに確認して、付きっきりで教えましたね。全体練習が終わっても1人残ってシャドーやネットピッチングを延々やってましたよ。
私がコーチとして育てた投手は山根(和夫)とこの清川ぐらいだが、清川は近鉄へ移ってから、より評価が高まったのではないか。
移籍先の近鉄では投手としてだけでなく、人としての振る舞いも評価されていたみたいでね。当時の仰木(彬)監督が清川の几帳面さを褒めてましたよ。
あるとき、藤井寺球場に出入りするクリーニング業者の担当が、わざわざ仰木監督に「清川さんの洗濯物を一度、見てください」と言いに来たらしい。
ユニホームを洗濯に出す際、シャツやソックスまで、必ずきれいに畳んで置いていると。仰木さんからその話を聞いて、彼の生真面目ぶりは広島時代から変わらないなと思いましたよ。
彼は他人の陰口は決して言わないし、悪く言われることもなかった。礼儀正しくてきれい好き。少し神経質な面もあったが、人間的に最高で選手のいいお手本であり、だれからも愛される好人物でした。
着物が似合い、書道の先生でもあるお母さんが広島を訪ねて来たとき、3人で食事をしたことがあった。目の前にいる親子を見て“いい家庭で育てられているな”と感じたその光景が思い出されるね。
まだ若いのに、また寂しくなるじゃないか。津田(恒実)といい、北別府(学)といい、清川といい…ものには順番があるんだから、ワシより先に死んじゃあいけんよ。
合掌
2024年05月14日 06:00
日本ハムの新庄剛志監督(52)が交流戦初戦の阪神戦(28日から3連戦)を控えて、現役時代に阪神の選手としてプレーした甲子園球場への思いを語った。「甲子園100歳でしょ?100年経ってるんだーって」と感慨深そうに話した。
「何が素晴らしいかって阪神園芸さん。その努力はずっと見てきているから。グラウンドの整備だけでなく、試合を真剣に見てくれているんです。だから僕、コーチに聞くよりも阪神園芸さんに聞いてますもん」と切り出した。紹介したのはプロ入り4年目の93年のエピソードだった。
「『僕どうなってます?』って聞いたら『もっと背番号をファンに見せてほしいね。丸くなっている。5番がしわしわになってるからまっすぐ立ったら?』っていうアドバイスを受けて、『そうなんだ』って」。打席に入る際のバットを真上に挙げて伸び上がるルーティンを披露し「そこから(ルーティンが)始まった」と明かした。
その試合でプロ入り初の2打席連続本塁打を放った。「苦手な広島の片瀬(清利)さん。シュートを打って、スライダーを打って。その景品をアドバイスくれた森さんにあげにいって。『そんなん要らんわ。もっとホームランをプレゼントしてくれ』って。そういう思い出はあります」と懐かしい目をした。
さらには甲子園を「メンタルを鍛えてくれた場所」と言う。外野スタンドのファンの声援もヤジも背中で受け止めてきた。「オレ、結構快感に受け取るタイプ。ああ、そういうヤジの仕方あるんだって。野球と関係なくね?って。よくフライデーされていましたからね」と笑った。
「今年、最後かもしれんしね。オレが」。1年契約で退路を断って戦っているだけに、意味深な発言ももらした。「かみしめながら戦いたい」。懐かしの聖地に監督として再び足を踏み入れる。
2024年05月14日 06:00
西武は13日、投手育成アドバイザーの清川栄治さんが、5日に悪性腫瘍のため東京都内の病院で死去していたことを発表した。62歳。京都府出身。葬儀などは故人の遺志により近親者のみで執り行われた。現役時代は広島、近鉄でサイドハンドの変則左腕として通算438試合全てにリリーフ登板。地味ながら中継ぎの価値を上げる球史に残る投手だった。引退後は広島、オリックス、西武で指導者として活躍。西武は14日の1、2軍とも喪章をつけて試合に臨む。
たった一つのアウトに心血を注いできた清川さんが、天国に旅立った。西武の2軍投手総合コーチを務めていた昨シーズン途中に病気が発覚。現場を離れ闘病生活に入り病魔と懸命に闘ったが、帰らぬ人となった。
左のサイドハンドという変則フォームから直球、カーブ、スライダーを駆使して打者に立ち向かった。特に阪神のバース、掛布、巨人のクロマティなど左の強打者に対するワンポイントで起用された。プロ入り3年目の1986年には自己最多の50試合に登板。0勝0敗1セーブながら防御率2・55でリーグ優勝に大きく貢献した。
91年シーズン途中に近鉄に移籍。92年5月15日・ダイエー(現ソフトバンク)戦(平和台)では2番手として登板し、右打者のブーマーを迎えると一塁を守り再びマウンドに上がりセーブを挙げたこともあった。97年には424試合連続救援という当時の日本記録も樹立した。通算438試合全てリリーフ登板。先発、中継ぎ、抑えと分業制の創成期に中継ぎの評価を上げる活躍を見せた。
京都生まれで伝説の投手・沢村栄治さんにあやかり「栄治」と名付けられた。沢村さんと同じ京都商に進学し本格派左腕として活躍。大商大を経て投手王国の広島に入団。北別府、山根、川口、大野、川端、津田と一流投手の中で投球フォームを変更し、中継ぎ投手として輝きを放った。
マウンドでは職人肌で強打者と対峙(たいじ)したが、ユニホームを脱ぐと真面目でありながらユーモアを持ち合わせていた。広島時代は指導者や先輩にかわいがられ、特に86年の胴上げ投手にもなった1学年上のストッパー津田恒実と仲が良く、球場の行き帰りは助手席に座っていた。
脳腫瘍のため引退した津田さんは93年に他界。津田さんの人生が描かれたテレビドラマに清川さんは森脇浩司さん(元オリックス監督)とともに友情出演した。また、津田さんが愛用していたベルトのバックルを形見にもらい、近鉄時代は身につけてマウンドに上がっていた。
移籍先の近鉄では阿波野、小野、吉井、野茂、佐野、赤堀ら個性派ぞろいの後輩投手から慕われた。古巣の広島に戻った98年限りで15年の現役生活を終えた。通算13勝だったが、記録以上にファンや球界関係者の記憶に残る投手だった。
引退後は広島、オリックス、西武で指導者として活躍。ユニホームを脱いだのは2013年の1年だけだった。闘病中もリポートを提出するなど最後まで野球に関わってきた。西武が14日の試合で1、2軍とも喪章をつけて試合に臨むのも、功績はもちろん誰にでも慕われる清川さんの人柄もあるだろう。
長年にわたり選手、指導者としてプロ野球界に多大な功績を残した。先に逝った北別府さん、津田さんとともに先発、中継ぎ、抑えトリオで投手王国を築いているだろう。
◆清川 栄治(きよかわ・えいじ)1961年9月21日生まれ。京都府出身。現役時代は左投げ左打ちの投手。京都商、大商大を経て1983年オフにドラフト外で広島入団。50試合に登板した86年はリーグ優勝に貢献。91年に近鉄へトレード移籍。広島へ復帰した98年に現役引退。引退後は広島、オリックス、西武で投手コーチを歴任。1軍通算出場438試合は全てリリーフ登板。
2024年05月14日 05:01
オリックス・平野佳寿投手(40)が13日、今月5日に悪性腫瘍のため東京都内の病院で亡くなった広島、近鉄で投手として活躍した西武の投手育成アドバイザー・清川栄治さんについて、球団を通じて思いを口にした。
2024年05月14日 05:01
体調不良で3試合連続でベンチを外れた阪神・桐敷拓馬投手(24)が13日、甲子園の投手指名練習に参加。早ければ15日・中日戦(バンテリン)から1軍に再合流する見込みとなった。
11日までにチームを離れ、遠征先の横浜から帰阪。「発熱と喉の痛みと。へんとうが腫れてしまった」と症状を明かした。この日はブルペンで28球を投じて、「多少(関節の)緩さというか。思った以上に問題なくは投げられたかな」と感触を確かめた。
岡田監督は「まだあかんみたい。明日はけえへん。(15日の)バンテリンからになると思う。熱が出たから関節とかなんかあれやろ」と、14日・中日戦(豊橋)も桐敷不在を明言。自己最長12試合連続無失点を続けているリリーフ左腕を少なくとも、あと1試合は欠いた戦いとなる。
2024年05月14日 05:01
14日の中日戦に先発する阪神・村上頌樹投手(25)が13日、狭い豊橋市民球場でも今季の武器となっているスローカーブは封印しないことを宣言した。今季3勝目へ。緩急を武器に中日打線に立ち向かう。
同球場は両翼93メートル、中堅115メートル。「引っ張ってもホームランが入るし、流しても簡単に入ると思う。そこは割り切っていくしかないかなと思っています」。一発を恐れずに腕を振る意気込みだ。
昨季の経験がある。23年5月16日は5回7安打4失点。打線の援護で勝利投手にはなったが、5点リードの五回に細川の適時打、石川昂の右中間への3ランで1点差に迫られた。「狭い球場というのは分かっている」と前回の経験を2年連続登板となる今回に生かす。
今季は6試合に登板して2勝2敗で、防御率は12球団で唯一の0点台となる0・88。抜群の安定感を誇る中で、武器となっているのがスローカーブだ。大竹が昨季から投げていたスローボールを参考に取り入れ、80キロ台と100キロ台の2パターンを使い分ける。今季は同球種を駆使し、試合を組み立ててきた。
狭い球場で遅球を使えば、本塁打を被弾するリスクは高まる。それでも相手に的を絞らせないためにも、緩急をつけられる武器は封印はしない。「しっかりといつも通りの自分の投球ができるようにしたい」と走者をためないことを心がける。
スローカーブは打者を翻弄(ほんろう)するだけでなく、調子のバロメーターにもなっている。「フォームが悪かったりしたら抜けたりする。でも、今はいい感じに投げられているので、そこはいいかなと思います」。今回も自信を持って遅球を投げ込む。
甲子園室内練習場でキャッチボールやダッシュなどで準備を整えた。14日から中日、ヤクルトと続く6連戦。12日・DeNA戦で完封した才木の勢いをつなぎ、チームを連勝へ導く。
2024年05月14日 05:01
阪神球団初認定の料理本となる「阪神タイガース認定レシピ集 トラめし 強い体、疲れない体をつくる!」(税込み1700円)が17日に講談社から発売される。監修したのは阪神の栄養アドバイザーで公認スポーツ栄養士の吉谷佳代さん。出版の経緯や、昨季リーグ優勝、日本一を果たしたチームを支えてきた裏側を明かした。
◇ ◇
「トラめし」には吉谷さんがこれまでチームの食を支えてきた知識やアイデアがたっぷりつまっている。2015年から阪神の「栄養アドバイザー」を務めてきた吉谷さん。それまで球団に栄養士はいたが、「体作りを強化したい」という球団の意向でより専門的な知識を持った人を探すことに。知り合いを通して吉谷さんの元に依頼が届き、「関西出身で小さい頃から阪神を見ていたし、応援もしてた」と快諾した。
食に関する知識をさらに深めてもらうため月一回、食に関する情報紙を選手に向け発行してきた。シーズン序盤にはタンパク質や筋肉の話、夏には熱中症対策の話など月ごとにテーマは異なる。選手の妻向けには、旬の食材を使ったレシピなどを載せた「トラめし」を提供してきた。
「それらが結構なボリュームになってきたので、球団内だけでなく外にも出したいよねと球団の方が言ってくださっていて。でも優勝もない中で出すのもどうかなという話もあって…」と吉谷さん。昨季リーグ優勝、日本一も果たしたことで、ついに出版が実現された。
普段、吉谷さんがメインで行っているのが鳴尾浜の選手寮「虎風荘」の1カ月分の献立を調理担当者と相談しながら考えること。寮生以外の鳴尾浜で練習する選手も食べる昼食では、「飽きがこないように」と日替わりどんぶりは1カ月の中で同じ種類が出ることはない。
「野球はパワーを必要とする競技。夏場でも体重を維持しないといけないからお米が大事」と吉谷さんは話す。なるべく多く摂取してもらうために、ご飯がすすむようなおかずにすることを意識。特に好評なのが豚キムチなどの“ピリ辛系”だという。食事量が落ちてきた選手でも食べやすいように麺類やチャーハンも用意するなど、炭水化物を摂取しやすいように工夫を凝らしている。
献立を考える上で、「大変だったのはコロナ禍」と振り返る。普段なら、食事後にコンビニなどで甘いものを買いに行く選手も多いというが、外出自粛もあり、できなかった。そこで吉谷さんは、デザートのバリエーションを増やすなど工夫。オフ前は焼き肉を食べに出かける選手も多かったため、少しでもその気分を味わえればと、一人用焼き肉の頻度も増やした。献立を試行錯誤することで、選手の心の健康も支えてきた。
献立を考案する以外にも、選手への直接指導も行っている。若手選手が中心の強化指定選手15人からは毎日の食事の写真が送られてくる。フィードバックをする中で、好き嫌いのある選手には二つのアプローチをしているという。
一つ目は「頭で理解してもらう」こと。「なぜ、その食材を食べなければいけないのかを理解してもらう」と吉谷さん。説明によって頑張って食べる選手もいるが、それでも克服できない選手も。その場合にされる二つ目のアプローチが「代替物の提案」だ。例えばトマトが嫌いなら、同じような栄養素を持った野菜を提案。その野菜もだめなら野菜ジュース、それもだめならサプリと段階を踏んですすめるという。
選手とは球場などで直接会って相談を受けることも。その多くが体重管理や疲労回復についてのもの。9年間さまざまな選手を見てきた吉谷さんは「まじめな選手が多い。食への意識が上がってきている」と話す。「みんな、サラダとか野菜をよくとりますね。好きじゃない人もいると思うけど、習慣化している」と意識の高さを明かした。
特に変化を感じるというのが大山。「入団した時から、元々太りやすくて体脂肪が増えやすい体質。でも当時の金本監督に『体を絞れ、でも体重は落とすな』と言われて」。入団当初は好きなものを何でもかまわず食べていたという大山には、まず日常的に飲んでいたジュースをやめさせ、水や炭酸水に替えることを提案した。
また、白米を控えようとしていた大山に「ご飯は減らさずに、おかずを減らしたほうが体脂肪が減るよ」とアドバイス。「頑張って知識を増やして自分でコントロールできるようになりました」と吉谷さんは変化を明かした。
選手だけでなく、選手の妻から相談を受けることも多い。食事の写真とともに「何が足りないですか?」と質問されることも。専門家の目線から助言を送り、それぞれの家庭の食事も支えている。
昨年は日本一をつかむまで、吉谷さんも奮闘し続けた。日本シリーズが行われた11月上旬は気温もかなり下がり、選手たちの疲労も蓄積されていた。気温対策のために、温かいスープを提供し、運動中以外は冷たい飲み物をやめることを推奨した。白米以外にも疲労回復効果のある玄米も用意。野菜の摂取量を増やして疲労回復につながる抗酸化作用を狙うために鍋物も増やした。
虎戦士たちの健康を支え、リーグ優勝、日本一に貢献した吉谷さん。それでも「うれしいことですけど、食事の力は大したことなくて。選手の頑張りが全て」と謙虚に話した。ただ、選手らからは「ありがとうございます」と感謝の言葉を伝えられ、選手の妻たちか「おかげさまで優勝できました」と連絡も。「そう言ってもらえた時は、関わってきてよかったと思いました」と喜びを実感したという。
今回監修した「トラめし」では、選手に提供されている料理の中で、家庭でも簡単に作れるものを紹介。「スポーツをしている子どもやその親御さんに読んでほしい」。吉谷さんはそう思いを明かした。
2024年05月14日 05:01
首位を奪回した阪神は14日から敵地で中日との3連戦に臨む。
2024年05月14日 05:01
巨人と読売新聞社は7月15日に巨人−阪神戦(東京ドーム、午後2時試合開始)の終了後に実施する「伝統の一戦〜レジェンズOB対決〜」の出場選手が13日、決定したと発表した。
両球団の歴史を彩ってきたレジェンドが集結する。阪神からは通算320勝を挙げ、89歳の小山正明氏が参戦。通算2000本安打を記録している藤田平氏、鳥谷敬氏の打撃にも注目が集まる。
巨人からはV9メンバーや、昨季まで巨人の監督を務めた原辰徳氏が参加。“球団史上最強助っ人”と称されるクロマティ氏は、現役時代のようなパフォーマンスを披露するかも!?
“永遠のライバル”である掛布雅之氏と江川卓氏の対決が実現するのか。江夏豊氏−田淵幸一氏の「黄金バッテリー」の再結成もあるかもしれない。
OB戦は公式戦終了から約1時間後に開始予定で、当日の巨人−阪神戦チケット購入者が同じ席で観戦できる。プロ野球90周年の節目を記念して、球団創設90周年を迎える巨人と、ともに歴史を刻んできた阪神によって行われる「伝統の一戦」は見どころ満載だ。
2024年05月14日 05:01
阪神は14日から敵地で中日3連戦に臨む。13日に取材に応じた岡田彰布監督(66)は3番打者に求める役割について「つなぎもいるからな。本当は一発よりも率やで」と語った。「なんかなあ、打ちやすい打順やのになあ。後ろに打つのがおるわけやから」とぼやき、「3番とかあんまりコロコロなあ、変えたないからなあ、やっぱりな」とクリーンアップを固定して戦いたい理想を口にした。
岡田監督の一問一答は以下の通り。
◇ ◇
−明日の打順は。
「まだ決めてない、決めてない。(豊橋は)グラウンドぐちゃぐちゃやろ、シートもないし」
−井上は好調だが元々いる1軍戦力が状態を上げることが大事か。
「そりゃそうや、みんなや、みんな。1人、2人ちゃうからな」
−この2日間の休みは佐藤輝にとって切り替える時間にしてほしいか。
「まあでも、そんな休みで切り替えられたらのお」
−3番について。
「3番とかあんまりコロコロなあ、変えたないからなあ、やっぱりな。クリーンアップはな、ピッチャーによってコロコロ変えるいうのもなあ」
−不思議だが3番だと近本も打てなくなる。
「なんかなあ、打ちやすい打順やのになあ。後ろに打つのがおるわけやから。3番は、そんなにツーアウトで回ってけえへんからなあ。ツーアウトいうことはランナー初回はいてないし、ちょっと楽なんやな、ワンアウトとかそんなんで回ってくるから。自分がアウトになっても、後ろがおるしな」
−そういう意味では森下のような若い選手が最適な打順か。
「いやー、もうちょっとやっぱり率がないとな3番は。つなぎもいるからな。本当は一発よりも率やで、3番は。つなぎ言う意味では。後ろにつなげばいいわけやからな」
−桐敷が投手練習に姿を見せた。
「まだあかんみたい。明日はけえへん。(15日の)バンテリンからになると思う。まだちょっと、熱が出たから関節とかなんかあれやろ。明日はあかんわ。バンテリンからや、一応はな」
−投手(ブルペン)は9人いる。
「人数はおるからな。元気なのがおるからな」 −交流戦ぐらいまでにクリーンアップの形づくりができればいいか。
「交流戦ってあと12(試合)やろ。2週間で固まりそうな感じじゃないやん」
2024年05月14日 05:01
14日・ロッテ戦に先発するオリックス・東が13日、沖縄セルラースタジアム那覇で最終調整。暑さが苦手と明かす右腕だが「(先発の早期降板は)中継ぎがしんどくなっちゃうんで、長いイニング投げられるように頑張ります」と頼もしい。
沖縄は中学の修学旅行で訪れて以来。「しっかり勝てるように頑張ります」と勝利に導く快投を演じる。